桑田佳祐も「不届きがすごい」とあきれた伝説のロック・スターとは 下ネタ的エピソード連発の自伝の中身
EL&Pの女性“共同使用”ルール
『キース・エマーソン自伝』では、バンド内のとんでもないルールも明かされている。 EL&Pの3人は結成当初から頻繁にけんかをしていた。このままではすぐに解散してしまう──。それを防ぐために、キースはついてくる女性は皆メンバー3人の“共同使用”にするというルールを設けた。バンドのけんかや解散の多くは女性が原因だと考えていたのだ。 この1970年にはビートルズが解散している。原因は、オノ・ヨーコやリンダ・イーストマン(後にポール・マッカートニーと結婚してリンダ・マッカートニー)がバンドのミーティングに介入したからだとキースは考えていたのだ。実際に、ジョンは、ビートルズのメンバーよりもヨーコの意見を尊重していた。ポールは、リンダの父親のリー・イーストマンをビートルズのマネージャーに推し、アレン・クラインを推す3人のメンバーと溝ができた。 そこで、EL&Pの現場には妻も恋人も禁止にした。その代わり、バンドに近づいてくるほかの女性は3人の共有というルールを作った。 「“共同使用”というルールは、ある意味で理想的に思えた。なぜなら第一に、それで他の女と真面目な付き合いをしないですむかもしれず、また第二に、ロックンロールの“精力”を腐らせないですむ(略)からだ」 EL&Pは、イエス、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと並びプログレッシヴ・ロック史を代表するスーパーバンド。グレッグとカールは後にエイジアでも活躍し、グレッグはEL&Pの前にはキング・クリムゾンにも在籍していた。3人とも正真正銘のレジェンドなのだが──。 自伝ではこのバンド内のルールにまつわるさらなるどぎついエピソードが続くのだが、ここでは遠慮しておく。
日本での初体験
EL&Pはもちろん日本にもやってきた。1972年の初来日では当時読売巨人軍がホームグラウンドにしていた後楽園球場に3万5000人のファンを集めている。関西では、阪神タイガースの甲子園球場でコンサートを行っている。 この2公演はロックファンの間ではいまも伝説として語られている。 7月22日の後楽園球場公演は大雨に見舞われ、キースは豪雨のなか水たまりに仰向けになってキーボードを弾いた。24日の甲子園球場公演では興奮した観客がステージに押し寄せ、メンバーはライヴ中に退散した。逃げ遅れて一人でドラムスを叩き続けたカールは、キースとグレッグに激怒している。 キースは妻のエリノアを伴っての来日であるにもかかわらず「ソニーの工場でミーティング」だと嘘をつき「日本の風呂屋」を体験しに出向く。その思い出も自伝に書かれている。 「私が浴槽に座って、新しい歯ブラシで歯磨きをしていると、その間にエア・マットレスが膨らまされ、そこが石鹸の泡で浸された。私はその間、その個室にある滝を眺めていた」 女性からのサービスを伴う、この風呂屋がどういうところなのかは、おわかりいただけるだろう。 さらにキースは、一人の女性ファンと直接出会い、彼女の「初めての相手」もつとめている。 東京でEL&Pが宿泊したのは赤坂のヒルトンホテル。現在のザ・キャピトルホテル東急だ。滞在中、ロビーに降りるといつも出待ちしている若い女性がいた。自伝によると、彼女を気にしているキースにファッションデザイナーの山本寛斎が気づいた。キースの挙動がおかしかったのだろう。寛斎は察して動いた。彼女をつかまえ、キースと会うことを交渉した。そつがない。 キースと彼女は寛斎の自宅で対面する。そして、ホテルにアテンドされた。 彼女の心配は、自分の抜け駆けをEL&Pファンの仲間に知られることだったらしい。知られたら殺される、と言った。 “儀式”を終えると、彼女は人目に付かないようにホテルの裏階段から去ったという。 この話の後日談もある。 18年後の1990年、EL&Pはすでに解散し、ザ・ベストというバンドで来日したキースは、ファンからの贈り物のなかに見事なフラワーデコレーションを見つけた。感激したキースが贈り主に電話すると、翌日直接挨拶したいと言われた。なぜだ──。不安を感じながらも、メディアのインタビューの間に数分の面会に応じた。 そこに現れたのは18年前の彼女だった。キースの記憶のなかに、1972年の夏の夜の出来事が鮮やかによみがえった。 「覚えてます?」 「もちろんだよ」 「あのとき私は、まだ若かったんです」 二人は短い会話を交わした。 「私はそれ以上彼女と関係を持つ気はなかったし、彼女の方にもその気はなかった。ただ彼女は、私と再会できて、しかも私が彼女のことを覚えていたので、嬉しかったのだろう。私も嬉しかった」 そうキースはつづっている。 2016年3月11日未明、アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカの自宅でキース・エマーソンが亡くなっているのが発見された。頭部を自ら銃で撃っていた。発見したのは同居していた日本人女性だった。