「交流戦首位打者」日ハム・水谷瞬が恩師にようやく届けることができた心揺さぶる「言葉」
好調の秘訣は気負っていないこと
「ソフトバンクで教わったこと、ケガやいろいろな悔しいことも含めたこれまでの経験、積み上げてきた頑張りの成果が出ているんだと思います。高校のときから本当に真面目でしたからね」 4月9日に1軍登録されると11日にプロ6年目にして、ついに初出場を果たした。 怪我などもあり、目標の舞台にたどり着くのには時間がかかったが、水谷は地に足をつけて進んできたようだ。 「ドラフトでソフトバンクに指名していただいたときはすごく喜んでいましたが、浮かれてはいませんでした。選手層の厚いソフトバンクですし、私は入ってすぐに活躍することは想像できなかったので『入ることが目的じゃない。これからが勝負だぞ。3年頑張って、4年目ぐらいに1軍で出られるように、1年目からしっかり頑張れよ』と話すと、『ここから頑張ります』と本人もわかっているようでした」 土台がしっかりしているから、足元が揺らがない。わずか4試合の出場で一度は2軍に戻されたが、それを糧にできた。 「1軍と2軍ではピッチャーの力が全然違うと思うんですが、それも経験しないとわからないこと。その経験をちゃんと自分の中に落とし込んで活かせているのでしょう。 今は1打席、1打席、大事にしているように見えます。それが彼のいいところです。とにかく必死でしょうが、それでいてランナーがいるときと、いないときで雰囲気が変わっていない。チャンスだから打ってやろうとか、気負いは感じない。どの打席も同じ形で入れている。それもいい結果に繋がっていると思います」 末光監督は水谷の成功を祈りながらも、送り出した以上は過度に連絡を取ることはせずに見守るスタンスを貫いてきた。 「私がキャンプを見に行ったときなど、何回かは会っていますけど、こちらから連絡することはそれほどないですし、水谷からもそんなにないですよ。3年目とか4年目ぐらいにソフトバンクの本拠地が福岡で、水谷の実家は愛知なので『1回ぐらい学校に寄れよ』なんて話をしたこともあったんですが、『機会があったら』って、そんな感じでした」 それでは素っ気ない対応に見えてしまうし、実際、卒業後、水谷は母校には1度も足を運んでいないという。 しかし、それは覚悟の証だった。