「望月の歌」を詠んだ夜は満月ではなかった…NHK大河ですべては描かれない藤原道長が和歌に込めた本当の思い
■「望月」にかけられた2つの言葉遊び 平安文学の研究者、山本淳子氏の解釈では次のようになる。「我が世」は「世」を「夜」にかけたもので、また、「我が世の春」といった人生最高の時の表現だという。 続いて「望月」以下だが、この日は16日で十五夜ではない。月はわずかに欠けているが「月は欠けたが欠けていない」といった機知を詠むのが和歌の真骨頂だという。では、どう欠けていないのか。 道長はこの歌を詠む直前、実資に、若い頼通に盃を勧めてくれるように頼み、結果、5人の公卿たちのあいだで次々に注がれた。道長はこうして頼通を中心に、5人のあいだで欠けることなく酒が注がれ、結束の強さが表されたことを、「欠けたる事も無し」と詠んだというのだ。また、文学では后はしばしば月にたとえられてきたという。道長は威子を中宮にし、自分の3人の娘で后の席を満席にしたのだから、まさに満月。 要するに、欠けていない「月」とは「盃」と「后」のシャレだという(『道長ものがたり』朝日選書)。 そうであれば、この歌を道長、ひいては藤原氏が驕り高ぶっていた象徴だとするのは、いささか行き過ぎということになる。むしろ、浮かれて、よろこんで、しゃれっ気を発揮している、少しかわいいくらいの道長像が浮かび上がると思うのだが。 ---------- 香原 斗志(かはら・とし) 歴史評論家、音楽評論家 神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。 ----------
歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志