森永卓郎、人生最大の損失とは?「投資は始めるより、やめることのほうがはるかに難しい」未来永劫、株価が上がり続けると考える人に伝えたいこと
家を新築で購入
1989年末のバブル崩壊のあと、1990年代初頭にバブルの調整は十分終了したと判断した私は、2つの大きな投資をした。 1つは、いま住んでいる家を新築で購入したことだ。この家は、トカイナカ(都会と田舎の中間)に立地していて、駅からも離れているので、いま起きている不動産バブルの影響を受けていない。 わが家の土地の評価は、購入した30年前とくらべても、やや下落をしているというのが実態だ。もちろん、わが家は投資のために買ったのではないし、30年も住んだから、問題がないと言えば、そのとおりだ。 問題なのは「投資信託」への投資だ。バブル崩壊の直後、私は日経平均株価連動の投資信託に大金をつぎ込んだ。 詳しい記録が残っていないのだが、まだ日経平均株価が3万円台を維持している段階だったから、バブル崩壊が始まってから1年も経っていない時期だ。 日経平均株価が2割くらい下がった段階で「調整は終わった」という判断をして、投資信託の購入に踏み切ったのだ。 いま振り返ると、日経平均株価はその後ピーク時の5分の1まで下がっているから、あまりにも甘い判断だったと言えるだろう。
私の人生最大の損失─私の投資体験・失敗篇
その甘い判断には背景があった。バブル経済のなかで、シンクタンクの仕事に大量の発注が舞い込んでいた。そのため私は常時20本以上のプロジェクトを同時進行させていた。まだ「働き方改革」など影も形もない時代だ、私は毎日、深夜零時を超えて働いた。 その結果、30代を迎えたばかりの私の月給は100万円にも達していた。しかもお金を使う時間はほとんどなかったから、あぶく銭が山のように貯まっていたのだ。それをこともあろうに日経平均株価連動の投資信託に一気につぎ込んでしまったのだ。 その投資信託は、日経平均株価が1万円を割りこんだところで損切りすることになった。どこまで下がるのかわからず、怖くなってしまったからだ。私の人生のなかで被った最大の投資による損失だった。 最近、私が「株価は最悪10分の1になる」と公言していることに対して、多くの人から「妄想を語るのはやめろ」とか「そんなことを言うから信用を失うのだ」という批判が寄せられている。 34年前の私も同じ批判をしていたかもしれない。 ただ、1930年代のアメリカでは、実際に株価は10分の1になったし、1990年代以降の日本でも株価は5分の1に下がっている。「株価の大幅下落」という予測を頭ごなしに非難するのは、投資依存症に足を踏み入れている何よりの証拠なのだ。 写真/shutterstock
---------- 森永卓郎(もりなが たくろう) 1957年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。経済企画庁総合計画局、三井情報開発(株)総合研究所、(株)UFJ総合研究所を経て、獨協大学経済学部教授。専門は労働経済学と計量経済学。堅苦しい経済学をわかりやすい語り口で説くことに定評があり、執筆活動のほかにテレビ・ラジオでも活躍中。2023年12月、ステージ4のがん告知を受ける。 ----------
森永卓郎