能登へ向かう東北の若者 もう大人「私たちの番」 あの日、今も胸に
「炊き出しと笑顔が温かかった」
能登半島地震の被災地で、東日本大震災の被災地出身の若者が緊急支援や後片付けなどに数多く従事しているという。震災から11日で13年。当時は小学生だった人も大学生や社会人になった。彼らはなぜ能登に向かったのか。東北の若者を探しに行った。 「これも捨てちゃいますか?」。片付け作業をする学生 石川県輪島市の観光名所「輪島朝市」の近くを車で走っていると、「宮城大学復興支援隊」と書かれた緑のジャケットを着た集団を見かけた。同大学の西川正純副学長が「これから片付け作業に向かうところ」と言うので、同行した。 ボランティアに来ていたのは食産業学群を専攻する学生7人。同県羽咋市出身の西川副学長に、3年生の菅原野さん(21)が「もう大人になった。恩返しがしたいんです」と話した。学生は宮城県出身者を中心に集まった。 菅原さんは13年前の3月11日、仙台の自宅で被災。小学2年生だったあの時を「家が傾いて、車や避難所で暮らしました。つらかったけど、炊き出しとボランティアの笑顔が温かかった」と振り返る。
オーガニックの畑、カフェが将来の夢
木製の柱に白い壁が映える建物の玄関で、輪島塗職人歴約40年の鮓井辰也さん(72)が待っていた。「ここは輪島塗の作業場。心機一転、またなりわいを始めたい」。基礎にひびが入り、応急危険度判定で「要注意」の黄色い張り紙があるが、7人は物おじせずに上がり込んでいった。 妻の喜代美さん(63)が「散乱した家具は見るのも嫌なの。捨てちゃおう」と呼びかけ、扇風機、フライパン、冷蔵庫──と「まだ使えそう」なものも、次々と庭に運び出した。だが、1年生の木津初音さん(19)が「これもですか」と、平仮名学習のおもちゃを手に言うと、「これは、取っておこう」と喜代美さん。「3歳と5歳の孫にあげるんだ」 1階の台所で散らばっていたガラスの掃除も終え、2時間ほどで作業場は輪島塗の品々や子育て用品を残してきれいになった。菅原さんは「今度は私たちが助ける番。どこへでも飛んでいきたい」と、やり切った表情を見せた。オーガニックの畑を持ち、カフェを営むのが将来の夢だ。