「自分たちの精神というものがない」…戦前日本を包んでいた「封建制」の“知られざる影響”
家出のワケ
「私が一番邪魔。いつまでも家にいる、そういう居場所があるわけではない。父と母も私をどこかにお嫁にやらなければと思うに決まっている。両親の厄介にならないで生きて行かれれば、そのうちにいい生き方を考えられる。 まあそんなものよ、私の時代は。部屋が6つもある、庭のついた素敵な家を借りて、お家賃を払えるかなあなんて初めは思ったのね。だけどなんとかできちゃった」 その後、ある不思議な出会いで、この人ならと思う男性にも出会います。でもその人は学生。両親にも紹介し、結婚は大学を出るまで待ちましょう、ということになります。しかし、銀座でお茶を飲むことが半年続くと、彼女は戦前の結婚のありかたに疑問を持つようになります。 「そのかたはちょっとした家柄の人で、卒業後も就職先が決まっていた。私は彼の実家や親族のために自分たちが生きるような、古い考えに唯々諾々と従うことに嫌気が差してしまったのね。自分たちの精神というものがない。そんな封建的な家に将来入って行けそうにない、そう言ってやめちゃったんです。そのかたが嫌いになったというわけではなく」 そうこうしていると、親しい友人の夫が結婚生活2、3ヵ月で出征して、戦死。嫁いだ先で、友人は生涯未亡人として生きることになります。当時は軍人の未亡人が再婚すると、世間から非難を浴びる時代。嫁いだ先の家で、身を粉にして仕えている友人を見て、彼女はなんとかならないものかと心を痛めます。 次から次へと友人の夫が戦争に駆り出されるのを見るにつけ、ますます結婚はできないという思いを強めていきます。やがて、手に職を持たない世の女性も、縫製工場などに動員されるようになります。 『美術家・篠田桃紅が浴びた「ムゴい言葉」…それを乗り越えた彼女の「自由論」とは 』に続く
篠田 桃紅(美術家)