「自分たちの精神というものがない」…戦前日本を包んでいた「封建制」の“知られざる影響”
「希望どおりにいかないのが現実。だけど思い出は、悲しかったことでも、楽しかったことでも、“ある”ということがとてもいいことだなと思いますね。」自由闊達かつ独創的な筆遣いで植物や天候の移ろい、人の感情を表現し数々の作品を生み出した美術家・篠田桃紅。そんな彼女を育んだ、特異な生い立ちとは。 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 大正デモクラシーから震災、空襲を経て現代に渡る自身の生涯をエッセイとともに綴る『これでおしまい』(篠田桃紅著)より一部抜粋してお届けする。 『これおしまい』連載第4回 『「日本は遅れている」から「西洋的なものはダメ」へ…美術家・篠田桃紅が目の当たりにした、大正時代の極端すぎる“変化”』より続く
封建制に生きる女性の“当たり前”
「私の時代は、女学校を出たら結婚して、奥さんになる。そのことになんの疑いも持たない。それが当たり前で、どう生きるかなんて、そんなに考えない。お嫁さんになる支度をして、ちょうどよさそうな人がいたら結婚する。 でも私はそうではなかった。自分の考えで生きたかった。あの時代に私みたいなのはいませんよ。自由に生きたいだなんて。人の家にお嫁に行けば生きられるけど、それでは自由がない。結婚した姉は、子どもを産み、決して不幸ではない。姉にならってもよかった。でも私はそうはしなかった」 習字を教えれば自由に生きられる、と彼女は自分の道を踏み出します。 「お習字の下野先生から『もうあなたに教えるものは何もありません。いつでもひとかどの書家になれますよ』と言われていた。父の師・杉山三郊先生も『おたくのお嬢さんは非常に字がうまいから、中国、平安などの古いものを手本にして学べば、一流の書が書けるようになりますよ』と父に話していた。 父が認める2人の先生のお墨付きで、私はお習字の先生をすれば、自分の自由に生きられる。そう思ったのね。それが始まり。それが地について一人生きるようになっちゃった」 最初は周りの人に声をかけて、お習字の練習会を開きました。次第に生徒の数が増えて、一人で暮らせるだけの収入を得るようになります。長兄・覚太郎が結婚し、家に義姉がくることを知ると、彼女はすぐに家を出ました。