「当初は嫌で嫌で…」“ダメな新人アナ”が高校野球実況に目覚めた“伝説エースの岡山決戦”「平松政次さんと森安敏明さんの投げ合いです」
47都道府県の故郷の期待を背負って各校が戦いに挑む、夏の甲子園。その中継に必須なのが実況アナウンサーの存在だ。NHKで数多くの試合を伝え、今もなお現役でスポーツ実況に携わる83歳のアナウンサーに、記憶に深く刻まれた一戦を聞いた。〈全2回〉 【写真】「カミソリシュート平松だけでなく…」83歳アナがホレた“巨人のあのスラッガーとアイドルエース”とは?号泣する大谷18歳、捕手だった村上17歳など球児レア写真とともに見る 大社旋風を筆頭に、106回目の夏の甲子園も盛り上がりを見せている。その甲子園の舞台を、通算で365もの試合を実況してきたのが、元NHKアナウンサーで、今も現役でスポーツ実況に携わる島村俊治(としはる/83歳)氏である。 島村アナは高校野球、プロ野球から8度のオリンピックの中継までを手掛け、良く通る声と抑制のきいたアナウンスで、スタジアムの興奮をファンに届けてきた。 高校野球でも名アナウンスで聴衆を魅了してきたが、島村氏には忘れられない試合があるという。 島村氏は東京都出身。早稲田大学高等学院から早稲田大学第一政経学部を経て、1964年、東京オリンピックが行われた年にNHKに入局。音楽への造詣が深かったことから音楽ディレクターを希望していた。
“ダメな新人アナ”が変わるきっかけはスポーツ実況だった
しかし配属されたのはアナウンス部で、鳥取局に配属された。同じ中国地方でも岡山、広島、山口など温暖な地域を希望していた島村氏は、当初気が乗らなかったそうだ。 「鳥取でアナウンサーになった当初は、嫌で嫌でたまりませんでした。毎晩飲み歩いて、女の子にちょっかい出すなど、ダメな新人生活を送っていたんですね。そもそもアナウンサーになるのが嫌だったわけですから、しょっちゅうふてくされていました」 ただ、その姿勢が変わるきっかけはスポーツ実況だった。11月に米子と鳥取を結ぶ駅伝が開催されたのだが……。 「NHKでラジオの中継をしたのですが、2台中継車を出して、1号車には野球の実況中継を志す若手が乗った。そして『島村、スポーツが好きらしいから2号車に乗せてみよう』ということになったんです。 初めての駅伝の中継、私は夢中で喋りました。2日間の放送が終わって、放送席を降りてきたときに通りかかった運転手さんに『島ちゃん、お前よかったよ』と、初めて褒めてもらえたんですよね。後で知ったのですが、若いアナウンサーを指導するときは、下手でもダメでも終わったら『良かったよ』というものなんですね。もちろん、いつまでも『良かった、良かった』と褒められてばかりではダメなんですが」
【関連記事】
- 【つづき】原辰徳に勝った翌日「痛めた手で号泣する仲間を」83歳アナが忘れない鹿実とアイドルエース定岡正二
- 【写真】「カミソリシュート平松だけでなく…」83歳アナがホレた“巨人のあのスラッガーとアイドルエース”とは?号泣する大谷18歳、捕手だった村上17歳など球児レア写真とともに見る
- 「パリ五輪、野球を除外したIOC役員に怒りを」“83歳で現役スポーツ実況”島村俊治アナが語る五輪野球「アトランタは松中信彦の満塁弾で…」
- 大社の大応援と馬庭優太封じ…「甲子園の魔物は自分の心が作る」記者が聞いた神村学園・小田大介監督41歳の本音「正直すごい圧力。でも」
- 京都国際「なぜオリックスの応援歌を使用?」その理由に涙、関東一「爆音の“西部警察テーマ曲”」に驚き…現地で聴いた高校野球応援“ベスト5”