小倉智昭さん 大好きな自宅で力尽く 77歳、がん闘病8年 笠井信輔アナ明かす夫人との最期の様子
フジテレビ系情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」で約22年間総合司会を務めた、フリーキャスターの小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日午後3時8分、膀胱(ぼうこう)がんのため都内の自宅で死去した。77歳。秋田県出身。葬儀は家族葬で行い、後日お別れの会を予定している。小倉さんは16年に膀胱がんを発症し、21年に肺に転移。入退院を繰り返しながらテレビ出演を精力的にこなし、闘病生活を伝えていたが、今年12月に入って体調が急変。帰らぬ人となった。 【写真】えっ小倉さん!?ひげを蓄えイケオジ化していた! 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いでお茶の間に愛された名物キャスターが闘病8年の末、力尽きた。 小倉さんは16年に膀胱がんを患って以来、長い闘病生活に励んだ。18年に膀胱を全摘出し、21年に肺に転移。23年には腎盂(じんう)がんが発見され、同12月に左腎臓を摘出した。根治を目指してさまざまな治療を受けてきたが、今年11月に腰痛を訴え、骨盤や腰椎、髄膜への転移を発見。今月に入って体調が急変し、9日に家族に見守られながら自宅で静かに息を引き取った。 死去から一夜明けた10日、フジテレビ系情報番組「めざまし8」(月~金曜、前8・00)で訃報が伝えられ、小倉さんと「とくダネ!」で共演した元フジテレビでフリーの笠井信輔アナ(61)が小倉さんとの最後のやりとりを明かした。死去2日前の7日に小倉さんと電話をしたといい、入院先から自宅に戻ってきた旨を知らされたという。 小倉さんは電話口で「諦めたんだよね」と話したといい、その様子を「声がかれていて非常に弱々しかった」と述懐。笠井アナは最後は自宅でと察しがつき、この電話が最後になるかもしれないと思って「小倉さんここまで頑張ってきましたよ」「私は小倉さんの一番弟子で本当にありがとうございました」と感謝を伝えると、小倉さんに「僕の方こそだよ」と感謝で返されたという。 10日朝に小倉さんの妻と電話をし、伝え聞いた最期の様子も明かした。小倉さんに妻が水を飲ませようとしたところ、口が動かなくなり、妻が手を握ると、小倉さんは手を握り返したが、次第に力がなくなったという。愛犬が「なんで起きないの」と小倉さんの顔をなめていたといい、笠井アナは「家に戻れて良かったなと本当に思います」とかみしめるように語った。 小倉さんは、16年5月13日放送の「とくダネ!」で膀胱がんを公表して以来、がんの経過を発信。21年3月に同番組は終了したが、テレビやラジオへ精力的に出演して、男性トイレにもサニタリーボックスの設置を訴えるなど、がん当事者としての目線から病の最前線を伝えた。所属事務所も「仕事に対する意欲が強く、先日まで積極的に仕事をこなす姿が目に焼きついています」と語るなど、仕事に熱心だった小倉さん。キャスターとしての矜持(きょうじ)で発信を続けた77年の生涯だった。 ◆小倉智昭(おぐら・ともあき)1947年5月25日生まれ。秋田県出身。1970年、東京12チャンネル(現テレビ東京)にアナウンサーとして入社。競馬実況などの実力を大橋巨泉さんに認められ、76年にフリーに。「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションで一躍有名となり、フジテレビ系「とくダネ!」では22年にわたり総合司会を務めた。16年に膀胱がんを公表。21年には肺への転移も公表し、昨年は腎盂がんも発覚。左の腎臓を摘出し、治療に専念していた。