「もう帰れないかも…」能登全員避難の孤立集落 住民の切実な思い
このホテルでの二次避難者の受け入れは3月上旬まで。県からは、公営住宅を含むみなし仮設住宅などへ移る提案がされました。 谷内さんと同じ大沢町から避難した女性は、「仮設住宅への移動については若い家族の判断に任せる」としながら、こう胸の内を話しました。
輪島市大沢町から避難した女性 「立派なホテルにいても、自分の生まれたところに帰ることばっかり考えて今まで過ごしてきました。なんとかしてでも自宅に戻って、また畑でも行けば気も晴れるかなと」「人口が少ないので(道路の復旧は)一番最後でないとダメじゃないかなと、それが不安」
■集落は立ち入りすらできないまま 困惑する住民
道路が完全に復旧するには時間がかかりますが、周辺の集落では、車一台が通れるほどの道が確保され、出入りができるようになってきているといいます。しかし、谷内さんたちの住む大沢町は依然道が塞がったままで、住民は困惑しています。 谷内さん 「みなし仮設に移るとしても、バッグ1つで避難してきたので身の回りのものが何もない。今後私たちの集落でも、物や車を取りに帰ることができるようになるのか、全く情報がない。せめて帰省していた子供たちの車だけでも外に出してやりたいけれど…」
■「仲が壊れてしまう」人には頼れない心境
地震前は大沢町に一生住み続けるつもりだったという谷内さん。集落では輪島市内の仮設住宅に応募する人も多い一方、谷内さんは輪島を離れ、金沢市近郊に住む息子の近くに住むことにしました。 谷内さん 「輪島は市街地も被害が大きかったから、私たちが仮設に入るのは難しいと思う。県外の娘も親族もおいでと言ってくれたけれど、私たちは何も持って来ていないから結局世話になる一方になる。今の娘との仲がきっと壊れてしまう」 孤立した集落に何もかも置いて避難した住民にとって、今最も知りたい情報は「いつ帰ることができるのか」ということです。簡易的な復旧であっても「どのくらい進められているのか」「いつ頃であれば集落に出入りできる可能性が出てくるのか」といった情報があれば、先行きが見えない不安が軽減され、将来を考える道筋にもなるかもしれません。