後鳥羽上皇が余生過ごした?隠岐領主が連れ出した伝説、佐賀・後鳥羽神社
国内旅行でも人気の高い九州地方。中でも福岡、長崎は観光客が多く訪れるエリアだ。その両県に挟まれた佐賀県だが、かつて“文明ロード”と言われた長崎街道に沿って多くの宿場を有し、古くは弥生時代からの遺跡も残っている。日本の国の成り立ちをうかがわせるそんな歴史のあるまち、佐賀の神埼を訪ねた。
神埼に多くの歴史にまつわる神社がある。中でも、特に興味深かったのが脊振の鳥羽院地区にある後鳥羽神社である。 ここに祀られているのは後鳥羽上皇。1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府から政権を取り戻そうと起こした承久の乱。結果、鎌倉幕府の大軍で敗れた後鳥羽上皇は隠岐島に流されてしまい、そこで亡くなったとされている。 しかし、この地区に残る伝説では違う。ここ「絹巻の里」(鳥羽院)も隠岐の領主「西川家房」知行の地と知られ、その旨を京都御所に伝えたところ、京都御所より「隠岐島は荒廃の地にて密かに還幸あってしかるべき」との勅令が届けられ、家房は幕府の後難を恐れず密かに船を出し、法皇はこの地に還幸されたという。 その後、この地で余生を過ごし、延応元年二月に60歳で崩御され、今でも、2月22日の命日には祀りごとが行われているという。 (2017年3月撮影)