俊寛伝説の地、喜界島で文楽公演 人間国宝の吉田玉男さんら来島
日本を代表する伝統芸能の一つで、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にも登録されている人形浄瑠璃文楽の初公演と奉納が6日、鹿児島県喜界町であった。11代目豊竹若太夫、人間国宝の吉田玉男さん(人形遣い)、鶴澤清介さん(三味線)らが、近松門左衛門作の人気演目「平家女護島(へいけにょごのしま) 鬼界が島の段」を上演。平家滅亡を企てたとして流罪となり孤独な生涯を送った俊寛の無念を、俊寛伝説が残る喜界島によみがえらせた。
京都市立芸術大学の藤本英子名誉教授が2年前に来島し「なぜ喜界島に俊寛像があるのか」と疑問を抱いたことが上演のきっかけ。地元では「ボーズンメー(坊主前)」と呼ばれ身近なものとなっているが、これまで文楽や歌舞伎が奉納されたことはなかった。 「俊寛終焉(えん)の地としての喜界島を発信できないか」という藤本さんの呼び掛けが文楽関係者に広まり、喜界島に文楽をつなぐ会(吉田照倫代表)が主催となりクラウドファンディングで資金を募った。全国から文楽ファン約30人がツアーで来島。町中央公民館での初公演は地域住民も含め約100人が鑑賞し、「俊寛の墓」前で神事と奉納も行われた。 奉納を終え、人形遣いの吉田さんは「感無量という思い。(俊寛の)よう来たな、やっと来てくれたなという気持ちを感じた」と語った。東京から母子で参加した女性(55)は「登場人物の気持ちが流れてくるようだった」、同町中里の福島恭子さん(51)は「語りと三味線、人形が一体になり物語の世界に引き込まれていく気がした」と話した。 同日夜は町内の飲食店で交流会があり、島北部では一夜咲き朝に散る「サガリバナ」の鑑賞も。一行と地域住民が島の自然や文化を感じながら交流を深めた。 ■メモ 「平家女護島(へいけにょごのしま)鬼界が島の段」 運命に流されるのではなく、自分の信じる道を選ぶ俊寛像を近松門左衛門が創作した、文楽の人気演目。平家滅亡を企てたとして流罪になった俊寛、康頼、成経と、成経が島で出会った海女の千鳥が家族となる誓いの杯を交わしたところへ、赦免状を携えた使者の船が到着する。成経との別れに千鳥が嘆き悲しみ死のうとしたところ、妻の死を知った俊寛が「都に未練はない。代わりに千鳥を船へ」と進言。身代わりを許可しない使者を殺し再び罪人となり、千鳥を乗船させる。「互いに未来を」と別れを告げ、皆の乗った船が遠ざかると、俊寛は無念に堪え切れずに高台に駆け上がり泣きひしがれる。