<上海だより>古き良き上海最後の砦、ユダヤ人の痕跡を尋ねる北外灘
これまでの連載ではフランス租界を中心に紹介してきましたが、今回はフランス租界を離れてイギリスとアメリカ、そして日本が管理をしていた共同租界エリアにスポットを当てたいと思います。上海の観光地の中でも特に有名なのが外灘(バンド)エリアですが、その北に位置する北外灘の再開発が今急速に進んでいます。北外灘の中でも東側に位置する一部の区画には国際客運中心という、上海で唯一の国際旅客船が入出港する港があり、この付近で大規模な再開発が行われています。
この国際客運中心自体はすでに再開発され5万平方メートルを超える緑地化がなされています。付近の再開発計画ではさらに緑地化が進むような計画が進められているようです。しかし、この再開発のために相当な面積で取り壊しがなされていることも忘れてはいけません。この付近は元々、第二次世界大戦中のユダヤ人ゲットーであり、今でもその建築は残しつつも現地の中国人たちが生活をする古き良き租界の香りが漂うオールド上海のテイストを残したエリアです。
上海の最中心部にもオールド上海の雰囲気を残したエリアはあります。しかし、その多くは観光地化されていたり、その雰囲気を売りに出しすぎていたりするため、少々嫌味な感じがあるのですが、この北外灘の一帯はあくまで普通の上海人たちの生活圏域であり、本当に普通のオールド上海が残された数少ない場所の一つです。そのため、旅行客が観光目的で訪れることはほぼありませんし、上海人でさえこの付近に住んでいない限り用事があるようなエリアでもありません。
このユダヤ人ゲットーのそもそもの成り立ちは、日本でも昨年映画化され話題になった杉原千畝がナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民たちにビザを発給したことにも関係してきます。戦前からユダヤ人コミュニティはこの租界に存在していましたが、日本滞在後のユダヤ人たちは、第二次世界大戦が終了するまでの期間をこの上海ゲットーで過ごすことになりました。そのため、このエリアの建築はフランス租界などとは異なり、ユダヤ人独特の建築様式を今でも残しており、日本人にも人気のニューヨークはブルックリン、ウィリアムズバーグにも似た雰囲気を醸し出しています。