〈ネット民こそ最強のパワハラ上司!〉パリ五輪で露呈、アスリートの「名言」や「感謝の言葉」を求め過ぎていないか?
選手は国民への感謝を強要される
選手は全員が、応援してくれたファンへの感謝、日本から見守ってくれた国民の皆様への感謝を表明しなければならない。しかも、極力丁寧に、低姿勢に徹して、最大限の謙虚さをもって、そうしなければならない。 それにしても、ファンとは誰か。国民とは誰のことか。選手たちにとって、本当に感謝したいのは、チームのスタッフであり、家族であり、また、地域で長く自分たちの活動を支えてくれた顔見知りの人々である。 この人たちへの思いを込めて、競技に臨んでいる。これに対しファンなどというものは無責任なもので、大会の直前にファンになって、終わったら、自分のことなど忘れてしまうことも多い。 自分がスランプに陥ったとき、けがでつらいリハビリを強いられたとき、支えてくれ、励ましてくれたのは、チームのスタッフたちである。この人たちにこそ、選手は感謝の言葉を伝えたい。 しかし、ファンへのお礼はマストである。絶対に逆らってはならない。
サイバー空間の〝脅威〟
ファン、国民、とりわけネット民は、今日の社会において、最強のパワハラ上司である。この人たちを怒らせたら、おしまいである。いかなることにも異を唱えてはならない。 あらゆる反論は、ネット民らを激怒させる。中傷にさらされ、窮地に陥った選手たちが、窮鼠猫を噛むように発してしまった言葉すら、激高させる。 アトランタ五輪後の千葉すず選手による「そんなにメダル、メダル言うんだったら、自分で泳いでみればいいんですよ」との発言がもたらした反響を思い出せば、よくわかる。彼らは、ここぞとばかりに加虐欲求を発露させる。しかもそこに、モラルや倫理の仮面を巧みにかぶせてくるのである。 今回のパリでは、インターネット上で選手に対する誹謗中傷があふれた。ターゲットは、突然出場を辞退した女子体操選手から始まって、負けて号泣した女子柔道選手、個人種目出場を辞退した競歩選手、サーブに失敗したバレー選手など枚挙にいとまがない。 サイバー空間において、宗教裁判が開かれ、異端審問で締め上げ、糾弾集会でつるし上げ、公開処刑で血祭りにあげる。この繰り返しである。 選手たちが誹謗中傷にさらされた理由は、「期待を裏切った」、「不適切な言動をとった」、「アスリートらしくない態度をとった」、「配慮にかける発言を行った」などである。その具体的な場面は、ビデオにとられ、サイバー空間に拡散していく。動画は何度も繰り返し閲覧され、とてつもない再生回数を記録する。 これは、無名の多数派たちが、勝手に「期待」し、勝手に「適切な言動」というものを定め、勝手に「アスリートらしい態度」を作り上げ、勝手に「配慮のある発言」とやらを決めてしまったからに過ぎない。非難された選手たちは、「普通と違う発言」、「普通と違う行動」をとってしまった。それが有象無象の集団を苛立たせた。