阪神・西が究極投球術で完封移籍初勝利。“あのジンクス”を打ち破れるのか?
西は完投を志願した。 「途中、替わるか、替わらないか、があったんですが自分の我儘でいかせてもらった。志願? 色々と相談をしながら点差を考えながら」 元々長いイニングを想定してピッチングをマネジメントするタイプの投手だ。この日、西はストレートが33%、スライダー27%、チェンジアップ16%、シュート15%、カーブ9%という球種の割合だったが、8回、9回に至ってはストレートが61%を占めていた。完封を意識した配球であり、彼の強い意志が伺えるデータだろう。 「なんとか長いイニングを。ここ最近、(チームが)中継ぎを使っていたので、なんとか最後までと、マウンドに上がっていた」 西のヒーローインタビューも頼もしかった。 開幕第3戦のヤクルト戦も勝ち星には恵まれなかったが、7回2失点でゲームを作った。まだ2試合だが、西の究極の投球術がセ・リーグでも通用することは証明された。DH制が採用され強打者が揃い失投の許されない過酷なパ・リーグで、スピードやパワーではなく、コントロールとキレで生き残ってきた西は、当初から「セ・リーグ向き」と評価されていた。だが、その一方で人気球団、阪神特有の熱狂的ファンとメディアのプレッシャー、得点力の低いチーム状況の影響が不安視されていた。しかも、過去にオリックスから阪神にFA移籍してきた2人の投手は結果を残せなかったという悪しきジンクスもある。 1994年オフに移籍した山沖氏は、1軍登板が1試合もないまま引退。2000年には、落差のあるカーブが武器の左腕、星野氏が移籍、2年連続で開幕投手に抜擢されたが、打線の援護がなく、結局、通算8勝しかできずに在籍3年でユニホームを脱いだ。 ただ2人共に移籍時の年齢が36歳、34歳と“旬”を過ぎたベテラン。28歳の西とは移籍した状況が違うとの声もあったが、その悪しきジンクスも、西で終わりになりそうな好スタートである。 FA移籍の投手が移籍後の初勝利に完封したのは、1995年にダイエーへ移籍した工藤公康(現ソフトバンク監督)と1999年に中日へ移籍した武田一浩氏の2人しかいない。 それでも「手ごたえはない。自分のピッチングをするだけ。相手がどこだとかまわず」と、西に浮かれた様子などない。 次戦の先発予定は14日に甲子園で行われる中日戦。移籍初の“聖地のマウンド”となる。 「たくさんの方が来てくれるので、恥のないプレーをしたい。チームが、いい雰囲気なんでカードをしっかり取っていきたい」 西が言うカードとは3連戦を勝ち越すという意味。3連戦の最後を任される役割と責任を西は、そう考えている。チームに貯金をもたらすエースである。