「落合博満は巨人軍に裏切られたのか」落合が否定した「巨人退団会見で涙」報道…清原FA騒動、なぜ43歳落合博満は現役引退を選ばなかった?
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。 その書籍のなかから、「落合博満vs.清原和博“FA移籍騒動”」を紹介する。ついに42歳落合博満が巨人をやめる日がくる。落合は最後に言う「オレは、巨人に勝ったのさ」。こうして濃密な3年間が終わる。【全3回の後編/前編、中編も公開中】 【貴重写真】見たことある?「幻のヤクルト落合博満」ノムさんと入団交渉する落合博満、巨人フロントにキレる落合&20代落合のカッコイイ発掘写真まですべて見る(30枚超) ◆◆◆
落合とナベツネの和解
長嶋監督との極秘会談から一夜明けた11月28日の夕方。落合は信子夫人を伴い、東京・大手町の読売新聞本社を訪れ、渡邉社長と会談へ。「本人を立てて、私が悪妻と言われてフォローしている。これが、“私流”なのよ」(週刊宝石1996年12月26日号)とオレ流の無名時代から二人三脚でともに戦ってきた夫人は、渡邉に直接、一連の騒動の真相を確認して謝罪を受けた。 落合も「君はまだ43歳。ふつうの会社で言えば、まだ部長にもなれない年齢なので、新しいところへ行って野球人生を全うしてください」と70歳の社長から激励され握手を交わし、特別功労金として2000万円が贈呈されることも決まった。そして、帰り際に信子夫人は渡邉から花束を受け取り、手打ちとなる。直後にフロント陣も落合に「本当にすまなかった」と頭を下げたという。
異例の退団会見「清原君に負ける気はしない」
同日の夜8時、ホテルニューオータニの「鶴の間」には、深谷球団代表だけでなく、清原の入団会見と差をつけないよう同じスーツとネクタイを身につけた長嶋監督の姿もあった。金屏風の前で、自由契約の選手と並び、監督と代表が同席する異例の退団会見である。 「(長嶋)監督は小さいころからの憧れだった。自分が野球を始めたころ、監督は光り輝いていた。ただ(来季は)どうしても清原との競争になる。(自分が)ベンチに座る機会も多くなるだろうし……。その監督の苦労する顔、私と清原君の問題でこれ以上、悩む顔は見たくない。身を引こうと思ったんです。ただし、清原君にはまだ負ける気はしない。だからよそ(他球団)へいってやらせて頂きます」(週刊ベースボール1996年12月16日号)
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