中島翔哉がW杯アジア2次予選モンゴル戦へ貫く哲学「どんな相手にも常に最高の状態を作って臨む」
予想通りの答えが返ってきた。故障離脱中のFW大迫勇也(ヴェルダー・ブレーメン)を欠く陣容で迎える10月シリーズへ、エースとして日本代表の攻撃陣を引っ張っていく決意を問われたMF中島翔哉(FCポルト)が、しばし沈黙した後に苦笑いを浮かべながら言葉を紡いだ。 「そういうのはもともとないですし、自分よりも実績のある選手がたくさんいるので、引っ張ってもらいながらやっています」 カタールワールドカップ・アジア2次予選のホーム初戦、モンゴル代表戦(10日・埼玉スタジアム)へ向けて、森保ジャパンが7日にさいたま市内で始動。練習後にメディアの取材に応じた中島が、ピッチ上で魅せてきた雄々しい姿とは対照的な穏やかで無欲、なおかつ朴訥とした素顔をのぞかせた。 昨年9月に船出した森保ジャパンに招集されるたびに、故障で開幕直前に辞退した1月のアジアカップ、そしてMF香川真司(当時ボルシア・ドルトムント、現レアル・サラゴサ)がいた3月と6月のキリンチャレンジカップ2019を除いて、エースの象徴である「10番」を託されてきた。 正式発表はまだだが、今回の10月シリーズも背負うことが確実な「10番」へ「サッカー界では特別な背番号なので」とひそかに矜恃を抱いてきた。中盤の左サイドを主戦場として、ボールをもてばまずドリブルを選択。敵陣を縦横無尽に切り裂き、攻撃のスイッチを入れる存在を担ってきた。 これまでの日本代表の攻撃的な選手と異なり、これでもかと個人技を前面に押し出し続けるからか。日本代表監督としてワールドカップの舞台でただ一人、2度の指揮を執った岡田武史氏が「老婆心かもしれないけど」と断りを入れたうえで、中島のプレースタイルに思わず懸念を示したこともある。 「翔哉あたりをマンツーマンで抑えられたら、どのような戦い方をすればいいのかな、と」
FC東京から2017年夏に移籍したポルティモネンセSCでのプレーを介して、中島の卓越した個の力はポルトガルの地にも衝撃を与えた。そうした背景もあり、アル・ドゥハイルSC(カタール)へ移籍してからわずか半年後の今夏に、ポルトガルの名門FCポルトに電撃的に移籍した。 招集された23人の代表メンバーのうち、ヨーロッパ組が歴代で最多となる20人を数える今回の10月シリーズ。19を数えるそれぞれの所属クラブは、5大リーグと呼ばれるスペイン、イングランド、ドイツ、イタリア、フランスを含めた11ヶ国と多岐にわたっている。 しかし、19クラブのなかで最高峰の舞台、UEFAチャンピオンズリーグを制した歴史をもつクラブは3つしかない。DF酒井宏樹が所属するオリンピック・マルセイユ(フランス)、MF堂安律が今夏に移籍したPSVアイントホーフェン(オランダ)、そして中島がプレーするポルトとなる。 しかも、マルセイユが1993年、PSVが1988年の一度ずつなのに対して、ポルトは1987年と2004年の2度にわたって頂点に立っている。2度目のヨーロッパ制覇となった後者では、当時41歳だったジョゼ・モウリーニョ監督が名将への階段を駆けあがるきっかけにもなった。 1893年の創立と歴史も古く、ポルトガルリーグで唯一となる5連覇を含めて、28度の優勝を誇る名門でも中島は「10番」を背負っている。当初は「8番」だったが、MFオリベル・トーレスがセビージャFCへ移籍したことに伴い、持ち主がいなくなったエースナンバーを急きょ託された。 第一子となる長女を出産した夫人に立ち会うために一時帰国したことで、開幕直後こそ出場機会を得られなかった中島は、直近の公式戦2試合で左MFとして連続して先発している。常に結果を求められる名門での戦いで、新しい何かを得られたのか。返ってきたのは意外な言葉だった。 「ポルトのことについてはあまり話さないで、と言われているので。もともとポルトでは試合後の取材などもあまり受けないので、代表のことだけを聞いていただければ。こうした代表活動も含めて、一日一日、選手としても人としても成長していけたらと思います」