海原かなた76歳「相方の薄い髪をフッと吹いたらドーンと笑いが」50歳で売れた男が語る〈辞めたらアカン〉の力と自らの引き際
相方・海原はるかさんの頭髪をフッと吹くネタでおなじみの漫才コンビ「海原はるか・かなた」の海原かなたさん(76)。2018年には脊柱管狭窄症の手術をし1年7ヵ月の休養の後、再び舞台に復帰しました。先が見えないトンネルの中「お医者さんがびっくりするくらい、トレーニングしてました」と語る原動力。そして、座右の銘でもある「明日を信じて」に込めた思いとは。(取材・文・撮影◎中西正男) 【写真】笑いが生まれた瞬間を語るベレー帽の海原さん * * * * * * * ◆手術で1年7ヵ月仕事を休むことに 寄る年波には勝てないというか、2018年に腰の手術をしたんです。病名としては脊柱管狭窄症でした。 その何年か前からね、少しずつ動きづらくなっていって、足腰に力が入りにくくなっていたんです。さらにそれが進んで立つこともしんどくなってきて、これはもう手術するしかないとなりまして。ほとんど大きな病気もしたことなかったんですけど、結果的に、この手術で1年7ヵ月仕事を休むことになりました。 漫才コンビは一蓮托生ですから。僕が止まると、相方も止まってしまう。お医者さんに聞くと、僕くらいの症状だと車いすの生活になる人も多いとのことだったんですけど、そうなるととにかく相方に申し訳ない。 手術後にできることはリハビリ、トレーニングくらいなんで、ひたすらにそれを頑張る。「負荷をかけて15回を2セット。計30回を目安にやってください」とお医者さんから言われている運動だとしたら、ゆうに100回以上はやっていたと思います。 その時の適した運動というものがあるので、ホンマはなんでもかんでもやったらいいわけではなかったんですけど(笑)、とにかく早く戻ろうと。結果、1年7ヵ月かかってしまいましたけど、なんとか漫才ができる場には戻ってこられました。
◆何があっても「明日を信じて」やってきた お医者さんも「まさかここまでになるとは」と驚いてらっしゃいましたけど、僕としてはね、もう1回舞台に上がる。仕事に戻る。その思いしかなかったんです。「戻りたい」ではなく「戻る」。 そもそも、なぜそう思ったのか。思えたのか。僕らは世に出るのが本当に遅かったんです。キャリアで言うと28年目くらい、年齢で言うと50歳前後になってやっと見てもらえるようになりました。 昔はね、今よりももっと芸人が若くして世に出ていたので、周りは平均して10年以内には売れっ子になってました。 だからこそ、やっと世に出られたのにここで辞めるわけにはいかない。そして、何があっても「明日を信じて」やってきたからこそ、その「明日」が来た。その感覚があったからこそ、毎日これでもかとリハビリができたんやとも思います。 僕らがなんとか世に出られるようになったきっかけは、僕が相方の髪の毛を吹くネタができたことです。あれも、続けてきたからこそ生まれたもの。つくづくそう思います。