川崎×名古屋戦 椎橋慧也に「出なかった」イエローとVAR至上主義、「大事にしたい」第18条【サッカー「レフェリー問題」の元凶】(3)
■誤審は「どこの国のレフェリーにもある」
鹿島対横浜FMの試合でも、川崎対名古屋の試合でも、違和感を感じた判定は“些細な”出来事だったかもしれないが、ああした判定基準の揺らぎが選手たちには大きなストレスになることは間違いない。 僕は日本人のレフェリーたちのレベルが低いとはまったく思っていない。誤審は、どこの国のレフェリーにもある。 日本サッカー協会は、月に1回ほどの頻度でメディア向けに「レフェリー・ブリーフィング」という催しを開いて、映像を使って判定基準の説明などをしてくれている。そうした説明を聞けば、レフェリーたちがどれだけ努力しているかが理解できる。 そのブリーフィングの席でとくに重点を置かれているのが、VARに関する説明だ。VARが介入して、定められたプロトコル(手順)に従って、ピッチ上のレフェリーとやり取りをして、短時間のうちに判定を確定させる作業は非常に複雑なもので、レフェリーたちの苦労は大きい。 2月には、Jリーグ担当審判のVARを巡る研修を見学する機会も設けられ、模擬のVARルームでの実習も見せてもらった。 VARについてはさまざまな問題点が指摘され、そのたびに細かい規定が付け加わってプロトコルも複雑化している。それに則って、短時間のうちに判定を確定するのは本当に大変な作業だと思う。 だが、そうしたプロトコルに従って処理することに努力が傾注されすぎることで、判定があまりにも形式的になってきているのではないだろうか?
■もう一度「大事にしたい」第18条
昔は、「サッカー・ルールでは第18条が大事だ」とよく言われていた。 サッカーのルールはいろいろと改訂されているが、競技規則はずっと第17条までである。「第18条」というのはルールに書かれていない「常識」のことなのだ。 だが、今のレフェリングは「書いてあること」だけが重要視されているように思える。 たとえば「ハンド」について、手の角度だとか手の動きだとかについて細かい規定が積み重なってきていて、すべてがそれに従って決定されることが多い。その結果、誰も(攻撃側も守備側も)ハンドがあったとは思わなかったような場面でいきなりVARが介入してきて、腕がボールに触れている映像だけが切り取られてハンドと判定され、PKという“極刑”が課せられるようになってしまった。 VARのプロトコルに関して、あのように長い時間と労力をかけて訓練をするくらいなら、判定基準の揺れを防ぐとか、「第18条」に関する議論とかを展開したほうがよほどサッカーというスポーツのためになるのではないかと思うのだ。 言っておくが、レフェリーたちが悪いのではない。彼らは決められた競技規則に則って、いかにそれを迅速に、そして正確に適用するかという努力をしているのである。 問題はVARを重視しすぎた“いびつな”プロトコルを作成した立法者たちにある。 僕は、もう20年近く前からビデオ判定導入を主張していた。しかし、現在、現実に実施されているような形のVARは望ましい形ではないと思う。ビデオ判定のあるべき姿とは何なのか? もう一度、原点に戻って考え直すべき時期が来ていると思う。
後藤健生
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