「あなたにもきっと色々あるのでしょうね、知らんけど」理不尽にやられても憎しみにバイバイを【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは前回に引き続き「倍倍!〈後編〉」です。2024年はどんな年でしたか? お涼さんから年末のご挨拶ついでにひとつ。 【写真】日常こそが舞台。自宅で「お涼」ルーティーンを撮り下ろし 昔、地元のサティの中に入っている大手衣料品ブランドで年末年始だけの短期のバイトをしていたとき、店頭に欠品していた商品の在庫を調べてほしいというお客様がいらっしゃったので対応していたら、後ろからもう一人のお客様が急いでいる感じで私に一方的に話しかけてこられて、同じく探している商品が店頭にないという旨のお話を流れるようにされたので、私は「かしこまりました。少々お待ちください」とまずは先に対応していたお客様の商品を見つけようと、そのお客様の方を振り向いた瞬間に、視界が真っ白になり、「え? 雷に打たれた? ここ屋内やのに? なんか全身が痺れて動けないんですけど! 何万ボルトの電流が私に帯電しているねん!」とビリビリ驚いていると、純白の視界から徐々に色彩が戻っていくのと同時に目の前にいるお客様のシルエットが浮かび上がれば、その方は鬼のような形相をしていて、そのまま無言で私に体をぶつけながら、去っていった。 なにが起こったのかわからないまま5秒ほど静止していたら、周りにいるお客様が「大丈夫ですか?」と心配してくださり、はっと気づいて「あ、大丈夫です。少々お待ちください」と後から話しかけてこられたお客様の商品をバックヤードに探しに行こうと思い、鏡を見たら、左側の顔面が真っ赤になっていて、ポケモンのモンスターボールを縦にしたような紅白の差が顔にぱきっとできていて、私はどうやらさきほどのお客様に渾身の力で、アントニオ猪木さんもびっくりの振りかぶりビンタをされたようだった。 「え? なんで? どこに渾身のビンタが発動するほどの沸点に到達するような出来事がございました? 私はちゃんと後から聞いてこられたお客様にお待ちいただいて、これからあなたの探している商品を探しにいこうとしておりましたけれども。いまの何が嫌やってん。ていうか、いろいろ端折りすぎちゃう? さっきまであなた、言葉を発しておりましたよね? 手よりまず言葉が先ちゃう?」と沸々と怒りが湧き上がってきて、体が沸騰していった。 どうしてか、私はいつも怒りがあとから湧いてくる。 理不尽なことをされたとき、相手がもう目の前からいなくなってから、「あ、これはどうやら怒っていいやつちゃう?」ということに気づき、「あれは絶対におかしかった。私は何も悪くない。どうして私がこんな仕打ちを受けなあかんねん」という思いが言語化して体中にタイピングされていき、家に帰ってから一人でシャドーボクシングをするみたいに、いまやもう実体がなく、シャドーになっている相手に対して「いや、ちょっと待ってください。いまのあなたの行動は明らかにおかしいですよ。私はあなたに殴られるほどの失礼を全くしていないし、そもそも人を殴るって、お互い合意の上での格闘技だって審判がいてルールがあるのに、出会ったばかりの他人を殴るって、暴力以外の何物でもないですよね。警察に通報したら100パーセントあなたの方がお縄ですよ。謝ってください」と声に出して、あたかも目の前に相手がいるみたいに、一人芝居をしているときのように、その時にタイムスリップした気になって、相手に言いたかったことを延々とシャドートーキングする。 そして、どうして相手がいるうちに言えなかったのか、と毎回落ち込んで、心の中で殴られた瞬間に同じ分量で殴り返す自分を想像したりするけれど、それはフィクションの中の話で、暴力を受けたからといって暴力でやり返していいとは私は思わへんから、やり返さへん。私は殴られたとき、痛かったし、悲しかったし、悔しかったし、苦しかったから、私は自分がやられて嫌やったことは相手にしないと決めているから、やらへん。 だから、私はお芝居以外で人を殴ったことがない。 私はいままでの人生の中で数人のひとに殴られたことがあるけれど、それが珍しいことなのか、それとも、割と当然のことなのか、人に殴られたり、人を殴ったことがある人が、人口の何割にあたるのか、みんな人生で一度は殴られたことがあるものなのか、そうじゃないのか、あんまりわからへん。やられてもやり返さない自分は弱くて、損をしているんじゃないのかと思ったこともあったけど、いまはやられてもやり返さなかった自分を誇りに思っている。
坂口 涼太郎