[独占インタビュー]なぜ阪神から西武トレードの榎田は新天地で蘇ったのか
3月14日。運命の日がやってきた。トレード通告である。 トレードの情報は新聞辞令で先に知った。親しい関係者から連絡も入ったが、「自分の耳で話を聞くまではわからない」と思っていた。いつものように虎風荘の風呂で体を温めて筋肉をほぐし練習へ入る準備をしていると「球団から話があるから」と2階にある部屋へ案内された。 「7年ですからね。チームを離れるのは寂しかった。でもトレードは僕にとってプラスだと思ったんです。プロ野球は、上で勝負できないとプロじゃない。期待されて求められていくトレードです。阪神よりもチャンスがあると思いました」 榎田は西武の先発の顔ぶれを含む投手事情やチーム事情を調べることはしなかった。 「僕自身が、どうやれるかしか考えていませんでした。自分のことだけで必死でした」 西武では最初は2軍スタートとなり、潮崎2軍監督からは、「まず先発でやってみて、そこから考えようか」という話があった。何も、先発の枠が空いていたわけではなかったが、高橋朋巳が故障離脱したことで、高木勇人が中継ぎへ回り、その高木が先発予定だった4月12日のロッテ戦で榎田に先発チャンスが巡ってきた。その試合、ロッテのエース、涌井秀章と堂々投げあって榎田は、6回を5安打2失点で粘ってゲームを作り、首位を独走するチームの勢いに乗って勝ち投手になった。1730日ぶりの勝利だった。 「たまたま、いい流れというか、トレードから運気、流れが変わっていると思います」 運も実力――。野球の神様は、チャンスがなくとも向上心を失うことなく、腐らず前を向き、ひたむきな努力を続けたサウスポーを見捨てることをしなかった。 「だから僕にとって環境が影響していると思わないんです」 榎田に物語を聞いてみると確かにそうである。 「2軍であろうと、それでお金をもらっています。やりたくても、もう野球のできない人もいます。営業やフロントに転進した人も見てきました。上でやれない不満はあったけれど、野球ができていることがありがたいと思っていました。だから変わらずにやれた。それが今の結果につながっているのかもしれませんね。まさか違うチームとは思いませんでしたが」 榎田の男としての生き様がたぐり寄せた幸運だったのかもしれない。