校舎の片隅に眠っていた最高級ピアノ“エラール” 2年半の修復を終えふるさとに帰還!美しい音色復活のウラに昭和の人々の熱い思い
女学校の創立20周年を祝うための寄贈。1982年発行の地元紙は、エラールの購入額は4500万円ほどだったと伝えている。 卒業生からお金を集め、なんとか手に入れた一台だった。 山崎さんは祖父の思いを想像する。「女学校に、こんなにすごいピアノを入れたんだ、みんなを驚かせて、みんなを笑顔にさせるんだと、自分としても誇りを持って入れたのではないかと思う。おじいちゃんはやっぱりすごかったなと思う」
当時はエラール中心に演奏会も
地域や卒業生の思いが込められたエラールは、三条高等女学校に収められた後、“学校の華”として美しい音を奏で続けた。 三条市のクラシック音楽愛好家・石田文夫さんが東京の神保町で入手したというパンフレットは、1940年代、エラールを中心にプロの演奏家を招いた音楽会が女学校で毎年開かれていたことを伝えている。
石田さんは3枚のパンフレットを手に、“当時の人々にとっての音楽”について思いを巡らせた。 「今はどんな曲でもすぐに聴ける時代になったが、昔はレコード1枚を手に入れるのも大変だったと思う。だからこそ、演奏会の一時にかける思いというのが、今とは全然違うのではないか。ものすごく熱いものを感じる」
三条高等女学校を1962年に卒業した五十嵐八代栄さんは、1960年のエラールの写真を持っていた。ソプラノ歌手を招いた音楽会が学校で開かれたことを覚えているという。 修復に向かうエラールと対峙した五十嵐さんは「私たちと同じで年取ったねと、同級生の人たちとエラールに触った」とほほえんだ。
ものづくりの町がエラール修復を後押し
昭和の人々の音楽に対する情熱が宿るエラールを修復させようと奮起したのは、三条市と燕市という全国的にも有名な“ものづくりの町”の人たちだ。 燕三条エラール推進委員会が結成され、地元企業からの修復のための寄付を募った。 93年前、世界最高の職人が製造したピアノは、ものづくりの町の精神に十分すぎるほどマッチした。
推進委員会の理事長で、三条市出身の声楽家・永桶康子さんは、エラール修復への期待をこう語っていた。 「エラールは、ものづくりの職人が行間を読み取ってつくったピアノ。今まで聞いたことのないような鮮やかな音色がしてくるピアノなので、その音色がまた聞けるかな…というのがとても楽しみ」 こうして2021年5月、エラールは卒業生や地域の人に大々的に見送られ旅立った。