杉田雷麟×寛一郎『プロミスト・ランド』2024年初夏公開へ ポスター&場面写真も
杉田雷麟と寛一郎が主演を務める映画『プロミスト・ランド』が、2024年初夏にユーロスペースほかにて全国順次公開されることが決定した。 【写真】『プロミスト・ランド』場面写真(複数あり) 本作は、歴史小説のジャンルで名を馳せる作家・飯嶋和一のデビュー作で、第40回小説現代新人賞を受賞した同名小説を38年の時を経て実写映画化するもの。2023年4月に公開された阪本順治監督『せかいのおきく』に続く「YOIHI PROJECT」第2弾となる本作では、自然と共に生きるマタギの文化をテーマに、消えつつある伝統文化の継承が、2人の若者の物語を通して描かれる。脚本・監督を務めるのは、阪本監督らの元で研鑽を積んだ新鋭・飯島将史。飯島は、本作の舞台となる山形県庄内地方のマタギ衆に密着したドキュメンタリー『MATAGI』(2023年)に続く本作で、長編劇映画デビューを飾る。 舞台は春の東北、マタギの伝統を受け継ぐ山間の町。高校卒業後、家業の鶏舎を継いだ20 歳の信行(杉田雷麟)は、この土地の閉鎖的な暮らしに嫌気が差しながらも、流されるままに日々を送っていた。そんなある日、役所から今年の熊狩りを禁止する通達が届く。違反すれば密猟とみなされ、マタギとして生きる道を閉ざされてしまう。町のマタギ衆が落胆しながらも決定に従うなか、信行の兄貴分の礼二郎(寛一郎)だけは、ただ一人頑なに拒み続ける。後日、礼二郎から呼び出された信行は、二人だけで熊狩りに挑む秘密の計画を打ち明けられ……。マタギの誇りを貫くため、他を犠牲にしてきた若者と、古いしきたりや大人たちに反発しながらも、自分の生き方を見つけられずにもがく若者が、それぞれの思いを果たすため、二人きりで禁じられた熊狩りに挑むーー。 『青春ジャック~止められるか、俺たちを2~』『福田村事件』『ガンニバル』などの杉田が信行役、 『せかいのおきく』『首』『身代わり忠臣蔵』の寛一郎が礼二郎役でそれぞれ主演を務める。 公開決定にあたり、主人公・信行と同年代となる21歳の杉田は「この作品を見て、『やっぱり挑戦してみようかな』、『今のままの自分がいいな』、色々思うことがあると思います。どっちが正しいではなく、自分が感じ決めた事が正しい」とコメント。寛一郎は「時代、受け継ぐこと、踏襲することとそうでないもの、その中で淘汰されること。いい作品になっています」と作品への思いを明かした。 また、飯島監督は「原作小説は今から四十年前の東北の地を舞台に、マタギ文化特有の狭い世界を描いていますが、過去ではなく今の時代に通じる作品。是非、多くの方々に、春の雪山で熊を探して歩き続ける彼らと、同じ時間を過ごしてほしい」と作品に込めた思いを語り、原作者の飯嶋からは「この映画には、明治時代以降、我々が進んで失ってきた自然への畏敬と共生への願いがこめられている」と絶賛の言葉が寄せられた。 あわせて公開されたポスタービジュアルは、パルコやコムデギャルソン、サントリーなどの広告デザインや篠山紀信撮影の宮沢りえ写真集『Santa Fe』、坂本龍一による『戦場のメリークリスマス』サウンドトラックのアートワークを手がけてきたアートディレクターの井上嗣也によるもの。「野生」をモチーフに数々の先鋭的な作品を世に送り出してきた井上が、本作の作品世界を表現しており、覚悟を決めて熊狩りへと向かう信行(杉田雷麟)と礼二郎(寛一郎)の姿が捉えられている。 場面写真では、銃を担いで雪解けの川を渡る信行と礼二郎をはじめ、緊迫した表情を浮かべる信行、銃を構える礼二郎の姿が切り取られている。 コメント 杉田雷麟 本当にやりたい事は別にあるけど、今の環境から動こうとはしない。というより動けない。 同じ経験がある方、結構居ると思います。 そんなに言うなら、やりたい事をやればいいって簡単に言う人、 人と比べてくる人、どうなんでしょう。そんな簡単じゃ無いですよね。 この作品を見て、「やっぱり挑戦してみようかな」、「今のままの自分がいいな」、 色々思うことがあると思います。どっちが正しいではなく、自分が感じ決めた事が正しい。是非一度ご覧下さい。 寛一郎 人、文化、自然、をマタギを通して感じられる作品です。 時代、受け継ぐこと、踏襲することとそうでないもの、その中で淘汰されること。 いい作品になっています。ぜひ劇場で。 飯島将史(監督) 本作は社会や制度、文化、自然、価値観、様々な事が時代によって変わっていく中で、愚直に生きようとする二人の若者が主人公の話です。 原作小説は今から四十年前の東北の地を舞台に、マタギ文化特有の狭い世界を描いていますが、過去ではなく今の時代に通じる作品です。 是非、多くの方々に、春の雪山で熊を探して歩き続ける彼らと、同じ時間を過ごしてほしいと思っています。 飯嶋和一(原作者) 山岳の神々に捧げられた映像詩 飯島将史監督の肉声は、殊に原作にはない「ケボカイ」の儀式から伝わった。ケボカイは、マタギが獲物を解体する時に行なわれる。ほふった熊の頭部を川下に向けて置き、剥いだ毛皮を数人が持ち上げて、持ったまま頭の皮を尻に、臀部の皮を頭部へと回し、体の肉に覆い被せる。熊の霊が天にのぼり、再び獲物となって現われるのを山の神々に祈念する儀礼である。マタギにとって深山の狩場は霊場であり、樹木や獲物となる鳥獣にも神が宿る。この映画には、明治時代以降、我々が進んで失ってきた自然への畏敬と共生への願いがこめられている。
リアルサウンド編集部