1世紀の重み、聖地であり続ける 阪神甲子園球場長インタビュー
1924(大正13)年に始まった選抜高校野球大会は、今春の第96回大会で創設から100年となる。同じ年に完成した阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)も8月1日に開場100周年を迎える。阪神甲子園球場の向井格郎球場長(52)に「メモリアルイヤー」への思いを聞いた。 【写真まとめ】2023センバツ 躍動したドラフト指名選手たち ◇「ライブの価値を超えるものはない」 ――100周年を前にした2023年に球場長に就任されました。 ◆24年に阪神甲子園球場の100周年があり、翌25年は阪神タイガースが球団創設90年となります。我々、阪神グループのベースボール事業にとって、「周年」が続く大事な時期に、まさか自分がこの立場になるとは考えていませんでした。100年、1世紀は重みがある。非常にやりがいがあり、光栄なことだと感じています。 ――阪神タイガースが昨季、38年ぶりの日本一を達成し、いい流れでメモリアルイヤーにバトンが渡りました。 ◆昨季は日本一もあって、特に「ライブの価値」を再認識するシーズンでした。ここ数年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、不要不急の外出が制限される状況において、球場運営は試行錯誤の連続でした。ようやくコロナ禍も収まり、多くのお客様に球場へ足を運んでもらえるようになりました。 やはり生で、ライブでその瞬間を見届けるという価値を超えるものはないと、改めて感じました。野球人口の減少や少子化という課題もある中で、一人でも多くの子どもたちに球場に来てもらい、高校野球やタイガースの野球をライブで見てもらうことが、改めて我々の使命なのだと感じています。 ――阪神甲子園球場にとって、センバツ大会とはどんな大会なのでしょうか。 ◆第2回大会(25年)から会場となり、戦後も(甲子園での高校野球開催は)センバツから復活するなど、歴史的につながりの強い大会です。「春はセンバツから」という言葉があるように、全国の方にとって、春の訪れを感じさせる大会として浸透していると思います。我々にとっても同じです。 球場の各担当はセンバツ大会を目指し、シーズンオフにさまざまな準備をします。飲食店舗などのお披露目、新たなサービスもセンバツから。事業の視点でも、シーズンを占う試金石となる舞台です。オフの仕込み度合いがシーズンの成績を左右する。プロ野球選手と似ているとよく言われます。 ――思い出深いセンバツ大会はありますか。 ◆第61回大会(89年)の東邦(愛知)―上宮(大阪)による決勝です。私と同世代が出場した平成最初の大会で印象深く、東邦がサヨナラ勝ちしたあの幕切れは衝撃的でした。甲子園には魔物がすんでいると言われますが、まさにそう感じさせられる試合。後にプロ野球の読売ジャイアンツで活躍する上宮の元木大介主将が、グラウンドにうずくまった姿も含めて記憶に残っています。 阪神大震災直後の第67回大会(95年)も忘れられません。私は西宮市出身で、阪神沿線で生まれ育ちました。震災当時は入社前だったので、一人の地元住民として「大会ができてよかった。よく開催してくれた」と思いました。 球場は幸いにも大きな影響はなかったものの、周辺は高速道路が倒壊するなど被害が激しく、亡くなられた方もいる中での大会開催は、難しい判断を迫られたと思います。しかし、被災者を励ます意味でも開催し、大会では3校が出場した兵庫県勢がいずれも初戦を突破するなど、被災された方を勇気づけました。大会や球場はそんな役割も担っているのだと感じました。 ◇先進性だけでなく、歴史や伝統も継承 ――2年前から100周年事業を進められてきました。次の世代へ向けて、阪神甲子園球場をどのようにつないでいくのでしょうか。 ◆「KOSHIEN CLASSIC~感謝を、伝統を、次の100年へ~」を事業コンセプトに取り組んでいます。そのために三つのテーマを設けました。①“日本一”の「野球場」であり続ける②“日本一”を決める「場」となる③“日本一”人々に愛される「存在」となる。安全性と快適性の向上を図りながら、野球はもちろん、他の競技や地域住民、観光客など多くの方に愛される場所を目指していきます。その中で、変えるべき点は変えながらも、守っていかなければならない部分もあります。土や芝、ツタ、スコアボード――。「甲子園」のブランドを構成しているものですね。先進性を追求するだけでなく、歴史や伝統を継承できるようにバランスを取りながら進めていきます。 ――「甲子園」を憧れに思うのは球児たちだけではありません。いろいろな人たちにとって大事な場所ですよね。 ◆24年に「甲子園大運動場」と名づけられ、スタートした歴史があります。実は始まりは野球でなく、阪神間の児童による運動会でした。過去にはスキージャンプの大会やJリーグのプレシーズンマッチが行われたこともあります。今も、アメリカンフットボールの全日本大学選手権決勝の「三菱電機杯 毎日甲子園ボウル」や、西宮市の小学校、中学校の連合体育大会、二十歳のつどいの会場にもなっています。先人たちが挑戦してきた歴史があるので、可能性を狭めないように我々もチャレンジしていきたいと思います。 また、我々は鉄道会社ですし、インバウンド(訪日客)にも注力したい。現在も甲子園歴史館には台湾を中心に多くの訪日客が訪れていますが、甲子園での試合観戦は、プロ野球と高校野球の応援スタイルの違いも含めて日本の野球文化を感じていただける場でもあるため、関西を訪れる海外の方にもっとアピールしたいですね。 ――将来的には甲子園名物でもある内野席を覆う屋根「銀傘」をアルプススタンドまで拡張する構想を発表されています。 ◆夏の甲子園大会の暑さ対策です。日陰の席では熱中症で搬送されるリスクを軽減できるというデータがあります。加えて、歴史的にも戦前はアルプススタンドまで屋根がありました(※43年に太平洋戦争による金属供出のため取り外された)。23年7月の構想発表時に「平和の象徴」と掲げましたが、元の姿に戻すという意味も込めています。 ――最後にファンや球児たちへ向けてメッセージをお願いします。 ◆阪神甲子園球場は世界でも3番目に古い野球場です。大リーグのレッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パーク(12年)、カブスの本拠地のリグリー・フィールド(14年)に続きます。まだ本格的な野球場がなかった日本に、阪神電鉄の三崎省三専務(当時)の英断により、これほど大きな施設を建設しました。 それを受け継いだ我々も、その先見性を持ち続けていきたい。当然ながら世間の甲子園ファンの期待を裏切らず、聖地であり続ける。皆様に目指して、出場してよかったと思っていただけるにふさわしい舞台であり続けるため、職員で一致団結して取り組んでいきます。【聞き手・長宗拓弥】 ▽むかい・かくろう 1971年5月生まれ。兵庫県西宮市出身。大学卒業後の95年に阪神電鉄に入社。宣伝担当や六甲山事業を担当後、球場のリニューアルや飲食、物販、甲子園歴史館に携わった。子会社の阪神コンテンツリンク執行役員、阪神タイガース取締役(事業本部副本部長)を経て、2023年春から現職。