柔道・野村忠宏の引退会見全文2「ヤワラちゃん仲いいですよ」
もしかしたらみじめな試合をするかもしれない
ただ、そのときはやっぱり実業団で優勝するんだ、実業団で優勝して講道館へ、講道館杯へ出場する権利を獲得して、もう一度最後に全日本の強化選手たちと、力のある若い選手たちと対戦するんだと。そういう気持ちを持ってやってたんですけども、実業団が近くなって、今年の6月、7月になってきて、やや練習の質っていうのを上げていかなければ、練習の質を上げていく中で、普段練習してる明治大学の学生と厳しい練習をするようになって、やっぱり2年ぶりの試合ということで、やっぱり東京のほうに行って出稽古という形で、練習をする中でやはり右膝の痛みがすごく増してきて、関節内にステロイドというのを打ち続けなきゃ、もう柔道ができない状況になって。 そういう状況になったときに正直、実業団に出るのもどうなのかなっていう思いはありました。もう、この状態で講道館杯っていうのも見れないことになっていうのもありまして、それよりも実業団に出るべきなのか、出ないほうがいいんじゃないか。この膝の痛みを持ちながら、注射を打って体を傷つけ続けて、どのぐらい柔道ができるから分からない。2年ぶりにする試合でどういう柔道ができるか分からない。そういうものを持ちながら畳に上がるのが正解かどうかっていうものが、ものすごく考えるようになって。すごい迷った時期がありましたね。それが7月ごろです。 ただ、よく考えたときに、もしかしたらみじめな試合をするかもしれない。ぼろぼろの姿、情けない姿をさらすかもしれないけど、やはりこの実業団のためにここ2年、試合に出れない状況で、手術をしてリハビリをして柔道をしてきた。その努力っていうのは自分では本物だと思ってるし、最後、みんなの前、皆さんの前に姿を現さずに、畳に立たずして、現役選手として畳の上から消えていく、選手として去っていくっていうのは自分らしくないなと。どういう柔道ができるかはもう分かんないけど、最後、やれることを精いっぱいやって、強い気持ちを持って最後の畳に上がろうと。 そして、たとえもしすごくいい柔道できて、講道館杯の出場権っていうのを獲得できたとしても、11月の講道館杯までに実業団が終わって2カ月、また注射を打ちながら続けるっていうのも不可能だし。だからもう結果、勝とうが負けようがこの実業団っていうのを最後に自分の、現役としての柔道人生っていうのを締めくくろうと。そういう思い、そういう決意で畳に立ちました。