柔道・野村忠宏の引退会見全文2「ヤワラちゃん仲いいですよ」
柔道・野村忠宏の引退会見全文2「ヤワラちゃん仲いいですよ」 THE PAGE大阪
前人未到の五輪柔道3連覇を果たし、8月29日の全日本実業個人選手権で現役を引退した野村忠宏(40=ミキハウス)の会見は、約2時間近くにわたって行われた。ここでは、会見冒頭のあいさつ後に行われた代表質問などの様子をお伝えする。ヤワラちゃんとの仲を聞かれる場面もあり、笑顔で「仲いいですよ」と話すと会場がどっと沸いた。 記者A:では代表質問をさせていただきます。最後の試合から1日明けての本日の会見となりました。いろんなことを思い出したり考えたりする時間があったかと思います。今、この場にいるお気持ち、どんなお気持ちでしょうか。 野村:そうですね、今ですか。今、そうですね、今まで優勝報告というのは何回か開かせて、なんですけども、こういう引退会見というのは初めてのことなんで、ちょっと不思議な気持ちというかな。ちゃんとしなきゃいけないなという、そういう、多少ぴりっとした気持ちなんですけども、試合が終わって短い時間ですけども、やはり仲間と時間を過ごし、あと、家族と時間を過ごし、ちょっとふ抜けになってます。 どうしても柔道のことっていうのはやっぱり考えるし、楽しさっていうのも感じていますし、もう自分がぴりぴりした真剣勝負の場所に立つことはないんだって思ったら、すごいさみしいなと思いますけど、自分のやれることはもう精いっぱいやってきたし、だからそのことに対して後悔というものはないですね。だから、さみしい気持ちもあるけど、すがすがしい気持ちもあるし。
引退を決意した日、その直接的な要因は?
記者A:引退の発表されたのが24日でした。引退ということを決意されたのはその何日前で、直接的な原因といいますか、その日に決意させた何か、何があったのか教えていただけますでしょうか。 野村:引退っていうのはもう本当、20代中盤から後半にかけても考えたし、もう常に引退っていうのは自分の胸のどこかにあったんですよね。例えば北京オリンピックに出場できなくなって、それに併せて大きなけがをして、そのころから常にもう、いつ終わってもしょうがない、いつ最後になってもしょうがない、いつ引退がきても仕方がない。そういう思いは常にありました。 ただいつ引退しても、引退する、終わりが来てもしょうがないという覚悟の下で、だからこそ1日1日を大切に過ごそう、1日1日を重要な日として、そして、やれることを精いっぱいやっていこうと。そういう思いで今まで来たんですけども、やはりその後、右肩、左膝ってのをけがする中で、手術してリハビリに取り組んで、けど勝つためには稽古を積み重ねないといけない。ただ単に毎日道場に行って稽古して、トレーニングして、でなくて、勝つための稽古、厳しい稽古もする中で、やっぱり自分の体の問題として、常に自分は引退っていうのを考えたときに、心の限界がくるのか体の限界がくるのか、その2つが同時にくるのか。自分はどこの限界を感じて引退するんだろうな。そういうのはぼんやり考える中で、ここまできて、ああ、もう俺は心の限界っていうのはないなと、そういうふうに感じるようになって。 ただ、現実的に体の限界っていうものを少しずつ感じるようになって、それがもう今年の4月、5月ぐらいですかね。左膝の手術が終わってリハビリがある程度進んで、少しずつ柔道ができるようになってくる中で、自分の左膝の状態として、やっぱり左膝に負担を掛けないように、右膝に逆に負担が掛かって。で、その右膝も古傷として常に悪い状態だったのでさらに右膝が悪化して、で、厳しい稽古を積み重ねる中で右肩という、手術した右肩も少しずつまた痛みが出始めて。ああ、もう今年が最後かなっていうのは、4月ぐらいから思うようになりました。