井上陽水『少年時代』は記録以上に記憶に残る名作!!【後編】
大滝詠一、井上陽水、松本隆、筒美京平らのブレーンを務めるかたわら、「平井夏美」名義で『少年時代』(井上陽水と共作)、『瑠璃色の地球』(松田聖子)などを作曲。中森明菜の音源制作にも関わってきた川原伸司さんに、いまこの時代に聴きたい音楽についてうかがう連載。Vol.8は井上陽水さんについての後編。教科書にも掲載され、今も多くのアーティストから愛されている『少年時代』のエピソードなど、歌謡曲好きライターの水原空気がインタビューします。 【記事中の画像をすべて見る】
水原:(前編からの続き)『少年時代』は当初、映画とは関係なく作られたそうですが、今となっては他の曲は考えられません。 川原:確かに映画とぴたりと合っていましたよね。ピアノも、陽水さん謂うところの少年のような初々しさをイメージして来生たかおさんに弾いてもらったんですよ。 水原:ちなみに『少年時代』で検索すると「風あざみ、実在しない」みたいなワードが上がってきます。「夢花火」とか「宵かがり」も、実は陽水さんが作られた造語なんですよね。 川原:そう。陽水さんは作詞も天才的で、韻の踏み方や声の響きを意識した言葉選びがすごい。少年時代の「星屑の空へ」も当初は「星空の空へ」という歌詞で、「空」がかぶっていた。それを陽水さんに言ったら「バレましたか…」と(笑)。 水原:日本語的な確かさより、音の心地よさを大切にされているんですね。「夢はつまり、想い出のあとさき」という部分も、子供時代の夢を振り返っているようであり、想い出を夢のように感じているとも受け取れるし。ただ一つ言えるのは、聴いているだけで、とてつもない郷愁が溢れてくるということ。 川原:ビートルズも歌詞に意味があるようで無いというか、解釈に預けているところがあるけど。『少年時代』は最初『夢はつまり…』というタイトルだったんですよ。 水原:としたら、やっぱり曲を象徴する部分なんでしょうね。 川原:「夢はつまり、想い出のあとさき」の後でブレイクするのも、陽水さんのアイデアなんです。僕はすぐ次のパートが始まるイメージだったんですが、陽水さんは予測不能な方が好きで、きちんとし過ぎているのを嫌がるというかね。『少年時代』もどこか正々堂々としたところがあるから。 水原:そんな曲を陽水さんが歌う意外性に惹きつけられました。音楽の教科書にも掲載されましたね。 川原:教科書のお話は、僕と陽水さんのマネージャーさんはとても喜んだのだけど、陽水さんは最後まで少し迷っていました。権威的になるのを嫌がっていたし、歌は儚いものだという考えもあったみたいで。 水原:その後多くのアーティストがカバーして、宇多田ヒカルさんも。 川原:陽水さんも宇多田さんのことをデビューのときからずっと評価していたから嬉しかったと思います。King Gnuが『飾りじゃないのよ涙は』をカバーしたり、新しい学校のリーダーズのSUZUKAさんが、陽水さんの『バレリーナ』(1983年のアルバム)を好きだと公言したり。陽水さんは時代を超えて支持されているのもすごい。 水原:陽水さんの作品では、2001年に発売された『UNITED COVER』にもSpecial Thanksとして川原さんのクレジットがありますね。 川原:自分も明菜さんの歌姫シリーズをプロデュースしていたから、「それだけ良い声をされているのだから、カバーアルバムを出した方がいいですよ」とずっと言い続けていたので。でも初めてそんな話をしてから10年くらいは過ぎていたんじゃないかな。陽水さんの仕事場にずっと「カバー・アルバム」と貼ってあって、期が熟すまで時間がかかったんでしょう。一曲目が『蛍の光』で始まるのも、陽水さんらしい。 水原:ギターにコーラスを重ねた『蛍の光』、いいですよね。2015年の『UNITED COVER 2』にはSupervisorとして川原さんも参加されていますね。 川原:それまで陽水さんのディレクションをされていた金子章平さんが直前に亡くなられて、代わりにレコーディング・ディレクターを務めました。 水原:このアルバムには『-ZEROalbum- 歌姫2』で明菜さんもカバーしている『黄昏のビギン』が収録されていますが、陽水さんが歌うこの曲も格別です。 川原:実は『歌姫2』は、ちあきなおみさんが1991年に発表した『すたんだーど・なんばー』というカバー・アルバムへのオマージュ。『すたんだーど・なんばー』は、僕の大学の同級生である佐々友成くんがディレクションしていて、それで僕も少し手伝っているんです。そのときに佐々くんが選んだ一曲が、1959年に発売された水原弘さんのシングルのB面『黄昏のビギン』。永六輔さん作詞・中村八大さん作曲のこの歌に、彼が当時初めてスポットを当てたんです。 水原:それを明菜さんが歌って、陽水さんも歌っているんですね。 川原:2015年の時点では既に多くの人がカバーしていたんだけど、陽水さんの中村八大さんへのトリビュートの思いも強くて、レコーディングには八大さんのご長男である中村力丸さんも立ち会ってくださったんですよ。