『進撃の巨人』に残る“最大の謎” 「いってらっしゃい」の意味を外国語訳と比べて考察
インドネシア語字幕「Selamat tinggal,Eren.」が示した“新たな解釈”
●“本当の自由”を手に入れて旅立っていくエレンに向けて 「いってらっしゃい」の解釈として、より有力だと思われるのは、“本当の自由”を手に入れて旅立っていくエレンに向けた言葉だというものだ。エレンは自由を渇望しつつも巨人をめぐる運命に縛られていたが、ミカサに死を与えられたことによってある意味では解放されることになった。 エピローグにてエレンが自由な“鳥”に生まれ変わったかのような描写が出てくるのも、この説の大きな根拠と言えるだろう。 なにせ作中終盤に出てきた「終尾の巨人」は、正面から見るとエレンが巨大な鳥籠に囚われているような見た目だった。自由を求めていたはずのエレンが、皮肉にも運命の鳥籠に囚われていたことを示唆するデザインだ。ミカサはそんな桎梏から解き放たれて空に羽ばたいたエレンのことを祝福したかったのではないだろうか。 なお、「いってらっしゃい」については各国それぞれの翻訳によって微妙に異なるニュアンスが与えられているようだ。たとえばNetflixで字幕を確認してみると、英語では「Farewell,Eren.」と翻訳されていることが分かる。「Farewell」は気軽な別れの挨拶ではなく、旅立ちに伴う長期間の離別や永遠の別れなどを含意するため、ミカサの覚悟がより強調されているように感じられる。 ●インドネシア語字幕が示した“新たな解釈” その一方でインドネシア語の字幕では、「Selamat tinggal,Eren.」となっているのだが、これは旅立つ人がその場に残る人に対して向けるお別れの言葉。すなわち「いってらっしゃい」とは対照的なはずの「いってきます」という意味を含意している。 だが、実はこの翻訳はある意味核心を突いているかもしれない。というのもここでミカサはエレンを見送ると同時に、自らもまた新たな決断へと踏み出していたからだ。 最終決戦に臨んだミカサは当初、「遠くに行ったエレンを連れ戻す」という目的を抱いていた。しかし最終的には自らの選択によってエレンの命を奪うことを選んでいる。なぜ覚悟を決められたかというと、山小屋のような精神世界でのやりとりが影響を及ぼしていた。 そこでエレンはミカサに対して、「このマフラーは捨ててくれ」と言い、自分の死後に「俺のことは忘れて自由になってくれ」と頼む。しかしミカサはマフラーを捨ててエレンを忘れる未来を受け入れず、マフラーをくれたエレンへの愛を忘れずに生きる未来を選んだ。 だからこそミカサは最終決戦の最後にマフラーを締め直し、強い決意によってエレンを苦しみから解き放ったのだった。最愛の人と別れて生きることを選んだミカサの心に、「いってきます」という想いがあったとしてもおかしくはないはずだ。 さまざまな観点から読み解くことができるエレンとミカサの関係性。あらためて『劇場版「進撃の巨人」完結編 THE LAST ATTACK』を観賞することで、2人の過ごした短くも長い日々に新たな意味を見出すことができるかもしれない。
キットゥン希美