「伝統のお酢」が「酒」判定で7000万円追徴課税、それでも死守した製法 不屈のメンタルを持つ5代目当主が目指す“モテるお酢屋”とは
◆「真面目」を脱却して「ワクワク」を喚起
――「モテるお酢屋」の素地には、“もの作りの魂”があるのですね。 お酢に対する愚直で誠実な姿勢は、創業から何ひとつ変わっていません。 私が5代目として挑戦したのは、生真面目から脱却して“感情を揺さぶる”こと。 父の代までは「アトピーやアレルギーのお子さんでも安心して食べられる」という“ネガティブの解決”を打ち出していました。 でもきっと、ワクワクする物事の方が人は集まる。 そこで「ミシュランシェフが愛用するほど美味しい」「他とはひと味もふた味も違う田植え・稲刈り体験ができて楽しい」などの“ポジティブな体験”へと転換しました。 ――事業承継において大切なこととはなんでしょうか? 先ほどのネガティブからポジティブへの転換に通ずるのですが、「前向きなメンタリティ」ですね。私は、実務の多くが不得手です。 でも「できないこと以外は全部できる」し、「忘れたこと以外は全部覚えている」(笑)。 気持ちひとつで世界の捉え方は変わりますし、打つ手も見えてきます。 私、ここ7年で一度も取引先に足を運んでいません。 それは「売り込みが致命的に苦手」という弱点を「相手がこちらに来たくなる仕掛けをつくればいい」という発想に切り替えたからです。 取引先が宮津に来られたら、当社が運営する古民家レストランでもてなし、お醤油屋さんなど、地元の信頼できる生産者さんもご紹介する。 取引先も地域も潤いますし、日本の食文化を絶やさないことにも繋がっていきます。 スタッフにも「チャンスはピンチの顔をしてやってくる。危機を飛び越え、会社を強くしていこう」と呼びかけています。
◆何千万の酒税を払おうと「伝統製法」を死守
――事業承継後、最大のピンチは何でしたか? 10年ほど前、税務署から「7000万円の追徴課税」を言い渡されたことですね。 当社は全国で唯一、米を育て、酒を仕込み、それを醸して米酢をつくる伝統製法を120年もの昔から守り抜いてきました。 ところが、後年できた酒税法に「途中で日本酒が生まれているのだから課税対象です。 製造方法も変えること」と引っかかってしまったのです。 親父はショックで不眠状態でしたが、私は「いいネタが増えた。飯尾醸造が朝ドラになったら、ここは山場だな」とワクワクしていました。 伝統製法ならではの芳醇な味わいを失うわけにはいかない。 新たな酒類免許を取得しながら試行錯誤を重ね、どうにか解決策を見つけ出しました。 酒税は毎年1000万円ほどかかりましたけれど、クオリティが第一ですし、お客さんには関係がない事情なので値上げもしませんでした。 最終的には税務署の尽力もあって、当社のためだけに酒税法が改正され、米酢は非課税となりました。 大変でしたが、前向きなメンタリティをもって乗り越えれば、いい話に昇華できるのです(笑)。 ――6代目への事業承継のビジョンは? 小学生の娘がいて、名刺代わりの缶バッヂには「接遇担当」という肩書が付いています。 本人が継ぎたければ任せますが、もしかしたらお客さんからも手が挙がるかもしれません。 去年の新入社員で「3歳からずっと飯尾醸造の蔵見学に通っていました」という子がいるんですよ。 「大人になったらここで働きたい」と、インターンを経て入社してくれました。 大切なのは「弱者だからこそ小さなマーケットにおいて一点突破で勝つ」「地域全体を巻き込んで正のスパイラルを起こし、日本の食文化のバトンを手渡していく」といったコンセプトをブレさせないこと。 そこを誰よりも理解してくれているのはスタッフやお客さんです。 ファンとの距離が近いからこそ描ける未来図がきっとあるのではないでしょうか。
■プロフィール
株式会社飯尾醸造 5代目当主 飯尾彰浩氏 1975年京都府生まれ。東京農業大学大学院修了後、2000年に東京コカ・コーラボトリング入社。マーケティングや営業教育として勤務。2004年に5代目見習いとして家業に入り、2012年より現職。伝統的な製法を引き継ぎながらも「富士酢プレミアム」や「ピクル酢」といった新商品、2017年にはイタリアンレストランacetoなど、多様なアイデアを生かした経営を実践する。
取材・文/埴岡ゆり