東日本大震災での被災を機に警察官を志す ふるさとで勤務する駐在さん
khb東日本放送
宮城県亘理町の荒浜駐在所で働く地元出身の若手警察官は、震災を機に警察官を目指し、ふるさとで駐在さんとして活躍しています。 【写真】ふるさとで勤務
警察官6年目の大和田尚冴巡査長(28)は、亘理町の荒浜駐在所で勤務する駐在さんです。亘理町出身で、4月に荒浜駐在所に赴任しました。 大和田尚冴巡査長「生まれ育った場所で警察官として来るとは考えていなかったので、見慣れた景色だけどこの制服を着て勤務していると考えると感慨深い」 数人の警察官が交代で勤務する交番と違い、駐在所は原則1人の警察官が住み込みで勤務します。 朝一番の仕事は、通学路の警戒です。 大和田尚冴巡査長「車が多いので、事故が無いように見守っています」 亘理小学校を卒業した大和田さんは、小さい頃の記憶を重ねて子どもたちを見守ります。 大和田尚冴巡査長「友達と一緒に学校行ったり寄り道したりしたので、懐かしいなと思いながら」 大和田尚冴巡査長「荒浜駐在所です。巡回で参りました」 住民の生活実態の把握や犯罪への注意喚起などを行う巡回連絡では、受け持つ約600世帯のエリアを1軒1軒訪ねます。 大和田尚冴巡査長「息子語りの詐欺が流行ったりしているので、注意喚起に来ました。何か変な電話とかあったりはしていない?」 住民「回ってもらってほんと安心しているね。まして地元から出た人間だからね。みんな知っているから。頼もしいですよ」 大和田尚冴巡査長「毎回お野菜とか飲み物とかもらったりするのでありがたいですね。家族みたいに接してもらって、おじいちゃんおばああちゃんじゃないですけど、家族みたいです」 大和田尚冴巡査長「私の家も基礎だけ残して流出して残っている物もほとんど流されてしまった。街並みは変わりましたね」 大和田さんが警察官を志したのは、2011年の東日本大震災がきっかけでした。亘理町では、津波により283人が亡くなり2500戸が浸水する被害を受けました。 当時中学校2年生だった大和田さんは、避難した亘理中学校で津波を目撃します。 大和田尚冴巡査長「知っている街並みが無くなったこともあるし、大人たちが動揺している様子がすごく怖かった」 不安の中始まった避難生活で、支えとなったのは被災者のために奮闘する警察官の存在です。 大和田尚冴巡査長「生活したり大変な中で、市民のために治安維持や救助などをしていてかっこいいなと思いました。人助けとかそういう仕事に就きたいなと思った」 大和田さんは2018年に警察学校を卒業後、機動隊員として石川県能登地方の応援なども経験しました。目指すは人に寄り添って活動する、東日本大震災の時の警察官の姿です。 大和田尚冴巡査長「震災当時の話を聞くこともあって、中には家族が亡くなったという人もいて。自分は荒浜出身で被災もしたので、荒浜地区の人に寄りそって話を聞けるかなと」 午後5時15分、この日の勤務を終えました。勤務後は、駐在所の奥の居住スペースで過ごします。慣れない1人暮らし、地域の人が支えです。 大和田尚冴巡査長「こっちに来て4、5キロくらい太った。皆さんからもらう野菜がおいしいのでいっぱい食べちゃう。大変な事ももちろんありますが、地域住民から巡回ありがとうと言われて協力と感謝があって働けてるなと」 被災地で生まれた28歳の駐在さんは、地域住民と支えあい荒浜の安全を守り続けます。 地域住民「地元の人たちは大和田君のことを孫のように思っている」「地域密着型というか、頼られる駐在さんになってほしいですよね」 大和田尚冴巡査長「荒浜の治安を守ることは発展にもつながると思うので、活気ある荒浜にしたい。その一員として頑張っていきたい」
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