第1子妊娠中の栗原 恵、「40歳での妊娠・出産は自分には難しいと思っていた。卵子凍結を検討したことも」
私の母は、「授かれるタイミングがあるなら、産んだほうがいいよ」と背中を押してくれていました
――彼にはすぐ報告したんですか? すごく驚かれたのでは? 栗原 妊娠検査薬で陽性が確認できてから報告をしました。何も言わずに、陽性反応が出た妊娠検査薬を封筒に入れたものを渡したんです。彼は「体温計が入っている…?」みたいな反応で、まったくわかっていなくて(笑)。妊娠したことを伝えると、びっくりしすぎて、ずっと口が開いたままの状態で、時が止まっているかのようになっていました。そして、しばらくしてから、「すごいね!!!」とハグをして、喜んでくれました。 ――サプライズ、大成功ですね。ご両親への報告もすぐにしたんですか? 栗原 はい、すぐに報告しました。彼とおつき合いをしていて、今後結婚や子どもを持つことについてどうするか真剣に話をしている…ということを親にも伝えていたので。 彼とつき合う前は、母には「私に結婚願望がない」ということと、「子どもを授かることは難しいと思う」ということを、自分の勝手な判断で伝えていたんです。私は猫を3匹飼っていたので、「孫が猫でごめんね~」と。母は「猫もかわいくていいわよ~」って言ってくれていて。 でも、彼とつき合うことになって、結婚や子どもについても話し合っているということを伝えたら、「授かれるタイミングがあるのなら、産んだほうがいいよ」と背中を押してくれて。 母の言葉は、いつも私をラクな気持ちにさせてくれるんです。私が「子どもを授かることは難しい」と話していたときも、口には出さなかったけれど、「授かるのが難しいなんて、なんで決めつけているのかわからない」と思っていたそう。母は、私が妊娠する前から、私が子どもを産むような気がしていて、性別まで予感していたそうなんです。しかも、母の予感していた性別は当たっていたので、「え~!!なんで~」とびっくりしました。
30代後半のときは、卵子凍結をしようか真剣に悩んだことも
――とてもやさしいお母さん! すてきですね。栗原さん自身は「子どもを授かるのは難しいかも…」と思っていたのは、年齢的なことでしょうか? 栗原 選手時代から、生理痛が重くて、ずっと痛み止めの薬に頼っていました。選手時代にひざを痛めて治療していたときも、ステロイドの注射を打ったりと、今後の体のことはあまり考えずに、「今、この試合を乗りきるために」というような判断をすることがよくありました。そんなふうに、体を酷使してきたこともあって、自分は妊娠するのが難しいのでは…と思っていたんです。 また、30代後半のときには、ほかの競技の先輩アスリートの方から、卵子凍結をすすめられたことがあったんです。「今卵子を保存しておいて、産む・産まないを選べるという保険をかけておく手もあるよ」「年齢的にも、絶対今しておくのがいいよ」と、自身の経験から私のためを思って親身になってアドバイスをしてくれて。私もすごく悩んで、親しい友人にも母にも相談したりして…。でも結局、卵子凍結はしないという選択をしました。そんなこともあって、最後のチャンスを逃してしまったように感じていたので、もう妊娠は難しいだろうな…と勝手に諦めていました。 でも、思い返すと、母はそのときも「卵子凍結しなくても、授かれると思うよ」と言ってくれていたんですよね。 ――そんなことがあったんですね。妊娠してからの体調はいかがですか? 妊娠初期はつわりなど、大丈夫でしたか? 栗原 妊娠・出産を経験している友人たちから「つわりが大変」という話をよく聞いていたので、どうなるのかな…と思っていましたが、時々嘔吐(おうと)したり、船酔いや車酔いのような気持ち悪さはあったものの、そんなに重いつわりはありませんでした。ちょうどパリオリンピックの前で、バレーボールの試合も多く、仕事が忙しいタイミングということもあり、仕事のスイッチが入ると気が張って気持ち悪さも紛れるような感じでした。 ただ、出血が続いたことがあり、1度、生理のように多めの出血があったときは、不安になりました。すぐに産院の先生に電話をすると「今すぐ来てください」と言われ、産院に向かいました。診察室に入ると、先生は「流れちゃっているかもしれないから…」と深刻な感じだったので、一瞬、「もしかして無理だったのかな」と真っ暗な気持ちに。超音波検査で無事に力強い心拍が確認できたときは、ほっとすると同時に「この子が一生懸命生きたいと言っているのかな…妊娠・出産って奇跡のようなことなんだな…」と改めて感動しました。 ――40代での妊娠ということで、産院の先生から、何か特別な指導やアドバイスはありましたか? 栗原 先生からは、妊娠が判明したときに、「不安なことはありますか?」と聞いていただけたので、「高齢出産といわれる年齢なので心配です」と自分から相談していました。先生も女性で、実際に高めの年齢で出産を経験されている方で、「そんなに心配しなくていいですよ」と、とても親身になってサポートしくれました。経験されている先生が担当してくれて、とても心強かったです。 40代という年齢もあり、無理をしたらよくないのかな…と気をつけるようにはしていました。あと、バランスよく栄養をとるよう、食事に気を使うように。体重が急激に増えるとよくないと聞いていたのですが、私の場合は、体重が増えないタイプだったようで。産院からは「もう少し増やしてください」と言われたんです。そんなこともあって、なるべく自炊をして、栄養があるものを食べるように意識しています。実家の父が自分で育てた野菜を定期的に送ってくれるので、新鮮で旬な野菜でおいしく栄養がとれてありがたいです。 つわりでしんどいときは、彼が食事を作ってくれることもありました。妊娠初期は、体調の変化や不安はあったものの、まわりの人たちに助けてもらいながら、無事に安定期を迎えることができました。 お話・写真提供/栗原 恵さん 取材・文/渡辺有紀子、たまひよONLINE編集部 やさしく穏やかな口調で、どんな質問にもていねいに答えたくれた栗原さん。卵子凍結に悩んでいたことや、「子ども無理かもしれないけれど」と伝えてから交際をスタートしていたことなど、30代・40代の葛藤も包み隠さずに話してくれました。彼やお母さんの愛情あふれる言葉にも心が温まりますね。 後編は安定期に入ってからのマタニティライフや、お産のことなどを中心に聞いてみました。
栗原 恵さん(くりはら めぐみ)
PROFILE 1984年生まれ、広島県出身。小学校4年からバレーボールを始め、高校バレー部では国体・春高バレー・インターハイ優勝も経験。2001年から全日本女子メンバーに選出され、「プリンセス・メグ」の愛称で親しまれる。2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックに出場。2019年に現役を引退後は、スポーツキャスター・タレント・モデルとして多方面で活躍中。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●掲載している情報は2024年12月現在のものです。
たまひよ ONLINE編集部