「思い描いた未来が急に見えなくなった」息子が自閉スペクトラム症と診断された倉持由香を救った夫の言葉「そして公表を決断し」
息子の湊が自閉スペクトラム症と診断されて、私がショックで何も手につかなくなってしまったときも、夫が冷静に励ましてくれて救われました。
■「ここで悩んで時間を止めても意味がないよ」 ── 湊くんが診断を受けたのはおいくつのときですか。 倉持さん:2歳半のころです。1歳前までは、発達の遅れを気にすることはありませんでした。月齢の発達目安の通りにハイハイもしていたし、立って歩くこともできたので。気になり始めたのは1歳からですね。言葉が出なくて、1歳半検診で指摘もされたんですけど、「男の子は言葉が遅いことがあるよ」といろんな人から言われて、そんなものかな、と。でも、2歳になってもしゃべらないし、保育園でもお友だちとうまく関われない。ひとりでおもちゃを並べて遊んでいるのを見て、もしかしたら…とは思っていました。
病院を受診したのは、2歳半のとき。きっかけは、湊が頻繁に吐くようになったことです。1日に何度か、少量の甘酒のようなものを戻してしまうことが続いて、小児科をはしごしたのですが原因がわからず、大きな病院で検査をしても胃腸には異常がないからと、児童精神科を紹介されました。病室に入って2、3分で、先生に「おそらく自閉スペクトラム症の可能性が高いです」と言われました。「定型発達の子なら、初めての場所や初めての先生に緊張して親の後ろに隠れたり、先生を見つめたり、挨拶したりするのに、湊くんは一目散におもちゃへ向かっていってひとりで遊んでいますよね。これは自閉スペクトラム症の特性に当てはまるんです」とのことでした。後日、詳しい発達検査を受けたら、やはり自閉スペクトラム症と診断されました。吐くのは「反すう」という、自閉スペクトラム症の子によくある行動だったみたいです。
── 診断されたときは、どんなお気持ちでしたか。 倉持さん:診断された直後は、霧の中にいるというか。思い描いていた未来が急に見えなくなってしまった気がしました。これからどうなってしまうんだろう、湊はいつか「パパ」「ママ」って言えるんだろうか。ランドセルを背負って学校へ行く日を想像していたけれど、そんな日は来るのかな、40歳、50歳になった湊とどう向き合えばいいんだろう、などといろいろ考えたら不安になってしまって。1か月くらい、仕事も育児もろくにできない状態でした。