【ネタバレ解説&考察】『ジョーカー2』賛否両論の衝撃ラスト アーサーは本当にジョーカーだったのか
まず1つは、若い受刑者がアーサーをナイフで刺すときの言葉、「報いを受けろ、クソ野郎!」が、『ジョーカー』でアーサーが、トーク番組で司会者マレー(ロバート・デ・ニーロ)を撃つ時の言葉と同じだということ。これは、彼が“ジョーカー誕生の瞬間”をやり直しているように見える。
2つ目は、倒れたアーサーの背後で(映像はぼやけているが)アーサーを刺した受刑者が、笑いながらナイフで肉を切るような音をたてていること。この音から、受刑者が自分の口の両端を切り裂き、『ダークナイト』のジョーカー(ヒース・レジャー)のような口元になったのではないかと想像させる。
この2つを踏まえて、あのラストの意味を、アーサーはジョーカーではなく、アーサーはジョーカーのインスピレーションの元となった存在であり、この囚人がジョーカーになると解釈する意見も多いのだ。 「アーサー・フレックは死んだが、それは、真のジョーカーの誕生にも思える」(米IGN)
「『ジョーカー2』は、アーサーを殺した本物のジョーカーによる、新たな時代の夜明けを示唆している。私たちのアンチヒーロー、アーサーは死んだが、社会から阻害された者、屈辱の道化師は、常に存在し続けるのだ」(Entertainment Weekly)
トッド・フィリップス監督の証言
メガホンを取ったフィリップス監督は、こうした解釈を裏付けているような発言を Entertainment Weekly に残している。 「アーサーは、看守たちが彼を応援する若い囚人を殺したとき、ドレスアップして化粧しても、何も変わらないということを理解した。彼は、自分はいつもアーサー・フレックだった、ゴッサムの人々が彼を見て思い抱いたような概念を体現する存在ではなかった、という事実を受け入れるんだ」
つまりジョーカーとは、アーサーではなく、そればかりかある個人でもなく、“ゴッサムの人々が抱いた概念”だと指摘しているのだ。
振り返れば『ジョーカー』から、ジョーカーはゴッサムの虐げられた人々の共有する概念だった。自分はジョーカーだと名乗ったのはアーサーだが、彼自身よりも、彼を見て興奮した人々が暴れ回る。ピエロの扮装をした人々が、街中で暴動を起こす。後にバットマンになる幼いブルース・ウェインの両親を撃ち殺すのは、アーサーではなく、暴徒の中の一人、ピエロの仮面を被った無名の男なのだ。 『ジョーカー2』では、ジョーカーはすでにアーサーを離れて、さらに増殖している。リー(レディー・ガガ)は、アーサーではなくジョーカーに恋をする。矯正施設内の受刑者たちも、テレビでジョーカーを見て騒ぐ。裁判所の前に集まる大群衆の中にも、多数のピエロの面を被った人々がいる。アーサーの裁判中に法廷に爆弾を投げ入れたのも、彼らの一員だろう。爆発後、逃走したアーサーを助けようとする青年もジョーカーの扮装をしている。彼らはみな、ある意味でジョーカーなのだ。その中の一人が、矯正施設にいるアーサーがジョーカーであることを辞めたのを見て、自分自身がジョーカーという概念を体現する人物になる。アーサーがジョーカーを降板しても、ジョーカーは止まらない。本作はそういう物語にも見えるのではないだろうか。