昔は馬とともに寝起き、調教法は極秘だったが。文化大革命で伝統は途絶えた
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
モンゴルの祭りといえば、ナーダムだ。モンゴル国では毎年7月11日の革命記念日に行われるナーダムは国家主催となっていて、世界中から観光客が押し寄せる一大イベントだ。 内モンゴルではモンゴル国のように決まった日程で行われるナーダムはほとんどなく、毎年各地によって実施日が異なる。ただ、7月から8月の短い期間に行われることが基本だ。
モンゴルでは競走馬を調教する人をオヤーガチという。昔は、優れたオヤーガチは、馬の体型をみて、駿馬なのかどうかを判断し、夏になるとその馬の食量を計算し、食べるべき草の種類や量、時間帯まで厳しく管理し、馬と寝起きを共にして細心の注意を払っていたらしい。自分の調教方法は極秘にするほど神経を尖らせていたという。 文化大革命などの影響で、競馬が行われなくなった時代を経って、その伝統は長い間、途切れてしまった。そのため、伝統的な調教方法は断片的に伝わってきたというのが現状だ。 私が7歳の時に、文化大革命後、初めての全シリンゴル盟のナーダムが行われた。その際、70歳過ぎの老人が3頭の競馬を連れくるために、簡易のテントを持って2頭の馬を乗り換えながら移動。3日間ほど競馬場の近くに寝泊まりをしていた様子をよく覚えている。 しかし、今はその老人のような人はほとんどいなくなり、トラックで競走馬を運んでくるようになった。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第12回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。