「前代未聞のDNA鑑定や国際シンポジウム参加」20年以上続く「タマちゃんを見守る会」はとんでもない研究機関だった
2002年に多摩川などに現れて一代ブームとなり、同年の流行語大賞にもなったアゴヒゲアザラシのタマちゃん。当時発足された「タマちゃんを見守る会」は、会の名前からはおよそ伺いしれない硬派な面も!聞けば出てくる驚きの実態。「DNA鑑定」から「秋篠宮さま」まで、話はつながっていきます。(全2回中の2回) 【写真】「タマちゃんを見守る会」が緻密に調べた”とんでもない”活動内容を公開(全11枚)
■シンポジウムでアザラシの生態を研究発表も行う 1頭のアザラシに見惚れて、集まった人たちが「タマちゃんを見守る会」を結成し、タマちゃんが護岸に現れては、その行動を観察したり、写真に収めたり、タマちゃん愛があるだけの会…と思いきや、その活動は思いもよらない研究機関の姿でもありました。
「もともとはタマちゃん好きが集まり、定期的に会合を開くなどをしていたのですが、いつしか、その生態や生息まで調べたりするようになりました。たとえば、あるとき、タマちゃんが激太りをしていることがありました。その直前でタマちゃんにどんな変化があったかというと、うなぎを捕食していたからだと日々のメモで気づいたんです。そうすると、体が重いから護岸に乗れない。なんとか休む場所を探して、川岸に停泊しているボートの間をウロウロしたり。実際に休息をとった場所や水中睡眠の潜水時間などの統計をとるようにもしました」
ただ、生物の専門家でもない人たちが、どうしてそこまで深く追求できたのでしょうか。 「タマちゃんがいなくなった後、観察する時間がなくなったぶん、考える時間が増えました。2年間のデータを整理し、わからなかったことを調べたりしましたね。国際的なシンポジウムにも参加して、『都会に現れたアザラシの生態』を発表したこともあります。ですので、タマちゃんを見守る会はただ、思い出を語る会として続いているわけではありません。ある種、専門家に近い研究をしている会と言えます」
じつはそうした活動の原点は、会を発足させるきっかけになった写真展の開催にまでさかのぼります。 「タマちゃんが多摩川に現れた2002年の11月に写真展を開いたのですが、江ノ島水族館の館長(当時)だった廣崎芳次さんが、私たちの活動を見てほめてくれました。会をサポートするべく、『もっと皆さんの調査活動の手伝いをしたい』と申し出てくれたのです」 オホーツクとっかりセンター(通称:あざらしランド)の館長さんも、「自分たちのセンターで長年多くのアザラシの保護や飼育をしているから、力になりたい、もっとその生態について教えたい」と、会合にも参加してくれるようになります。