【プレイバック'04】広末涼子が「初の結婚&妊娠会見」で見せていた“ピュアすぎる笑顔”
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年1月2日号掲載の「祝・デキちゃった婚 広末涼子 本誌だけが知っている『プッツン男遍歴』の全真相」をお届けする。 【ピュアな広末が戻った】すごい…公園デートでキャッキャとはしゃぐ広末が可愛い…! 今年の元旦、W不倫騒動の相手だったシェフの鳥羽周作氏(45)と年内に結婚の意思を固めたと報じられた女優の広末涼子(43)。実現すれば3度目となるが、そんな広末が最初の結婚を発表したのは’03年12月15日だった。今回ご紹介するのは、記者会見で「結婚&妊娠」を発表した当時の様子や、広末の過去の恋愛遍歴についてまとめた記事だ。(以下《 》内の記述は過去記事より引用) ◆【プレイバック! 〝奇行〟で知られたヒロスエとは違う】 《「胎動を感じるんです。すると母親になっているんだなって実感が湧いてきます」 記者会見場の広末涼子(23)は、 恥ずかしそうに頬をほんのり赤く染めながらレポーターの質問に答えた。約2年前にもらったという左手薬指の指輪がキラリと光る。そこには、〝奇行〟で知られたあのヒロスエとは違う、妻になり、母になることを決意した「女」の姿があった。》 「広末結婚妊娠」の一報が日本中を駆け巡ったのは会見前々日の’03年12月13日のことだった。大阪で千秋楽を迎えた舞台『飛龍伝』のカーテンコールで、広末と共演した筧利夫が「広末さんに赤ちゃんができました!」と報告。広末も「全部、筧さんが言ったとおりです」と、認めたのだった。 200名以上の報道陣が詰めかけた会見で広末は、相手のファッションモデル・岡沢高宏氏(当時28)について、次のように語っていた。 《妊娠が分かって素直にうれしかった。岡沢さんの男らしさ、強さ、優しさなど最近になって気付くことが多かった。私の父に似ているのかも》 今後の芸能活動については、引退はせずに出産後にあらためて考えると話していた。 本誌は2人のデートを何度か目撃している。例えば‘02年4月下旬のとある昼下がりに高級ホテルのフロントにチェックアウトギリギリに姿を現した2人を発見。ホテル最上階のレストランで食事を楽しんだ後、タクシーで公園に向かい、仲良くお散歩。広末が彼の背中をつついたり、彼も彼女の肩に手をやったりするなど、まるで学生カップルのように戯れていたのだった。 デビューからまたたく間に国民的アイドルとなった広末だが’99年には入学した早稲田大学への不登校問題が発覚。’01年7月には〝奇行〟が報じられて〝プッツン女優〟と呼ばれるようになり、先行きを心配する声も上がっていた。 だが、同じく’01年に岡沢氏との熱愛がスクープされてから、その後は悪い評判を聞くことはなくなり、仕事も順調。前述のホテルでの岡沢氏との仲睦まじい様子などを見ていると、かつての広末が戻ってきたようだった。当時の本誌記事をめくると、その情景を次のように書いている。 《ヒロスエと岡沢との愛は見事に実を結んだ。 「不規則な仕事ですが、自分なりにリズムをつくっていこうと思っています」 出産に向けての心構えを聞かれると、 ヒロスエは静かにこう答えた。 挙式・披露宴は年明け早々の予定だという。少しはにかんだ身重のヒロスエは、子供らしさが残るデビューしたてのころの面影を感じさせた。》 10代でのデビューから、トップを走り続けてきたこの当時の広末にはある種の〝限界〟がきていたのかもしれない。’16年の『FRaU』のインタビューでは「出来ちゃった婚」は確信犯だと言い、続けてこう語っている。 《私は一度、あの時点でフェードアウトしないと壊れていたと思うし、女優業は続けていられなかったと思う。あのタイミングで一度外の世界を見るというかフラットな自分に戻れたことは、私の人生においては、すごく大切でした。》 順風満帆に見えた結婚生活だが、岡沢氏とは’08年に離婚。その後、キャンドル・ジュン氏と’10年に再婚するも、昨年の鳥羽氏とのW不倫を経て昨年8月に離婚した。そして、今回報じられた鳥羽氏との「再々婚」。これからの広末はどういう道を歩むのだろうか。
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