【佐渡島を旅して】島民の情熱が受け継ぐ能楽を堪能
その場所を訪れなければ出逢えないニッポンの「ローカルトレジャー」を探す旅へ。佐渡探訪のフィナーレを飾るのは、江戸期にこの地で花開いた市井の能楽。日本最大の離島で脈々と受け継がれた伝統の世界を逍遥する 【写真】佐渡島の伝統を受けつぐ能楽と蔵元へ
《SEE》「天領佐渡両津薪能」 島民の情熱が受け継ぐ“舞い倒す”能楽
佐渡を訪れてみたかった一番の理由は、薪能を鑑賞することにあった。格調高く雅味溢れる都の能楽堂で見る能もさることながら、能の大成者である世阿弥が配流された史実が、佐渡で鑑能するイメージを一層ドラマティックに彩っていたからだ。松明の火の粉が響く静寂の中、鄙びた神社の境内で厳かに奉納される薪能には、さぞかし深い哀愁と格別な高揚感が共鳴することだろう。 実際に、この地で能が広まったのは江戸時代に入ってからとなる。金銀の資源に恵まれた佐渡は幕府の天領(直轄地)となり、初代佐渡奉行として大久保長安が江戸から派遣。能役者の息子であった大久保は、佐渡にシテ方や囃子方を同伴し、それを機に神社に奉納する「神事能」として独自の進化を遂げ、“庶民の能”として浸透した。 驚くべきは、往時の島には200もの能舞台があったことだ。今も日本の能舞台の約3分の1が集中し、30以上の舞台が現存。その密度はほかの地域に例をみないほど。幾つもの能楽愛好会があることに加え、祝言の席や祭り、節句など、人が寄り集う宴席では“座敷謡”が嗜みのひとつとして日常に息づく。 写真は2023年10月に金井能楽堂で演じられた「熊坂」。シテ方の金井雄資さんと小鼓の幸 信吾さんは、重要無形文化財保持者。
重要無形文化財保持者で宝生流能楽師の金井雄資さん。約10年にわたり佐渡で能楽を指導
開演前の楽屋は、出演の準備をする人たちでに賑わう。右は宝生流師範で市内の中学生に能の指導を行うなど、能の普及に尽力している神主弌二(こうずいちじ)さん
薪能は、4月から10月の半年にわたり島内各所で開催される。なかでも椎崎諏訪神社で開かれる「天領佐渡両津薪能」は、重要無形文化財保持者で宝生流の金井雄資さんによる指導のもと、ひときわ完成度の高い能楽が披露される。さらに、一年を締めくくる10月の舞台では、金井さんご自身が主演を務める貴重な公演と聞く。 松明の中で、厳かに能が演じられる幻想的なシーンを想像し、期待に胸が高鳴ったが、取材の当日は雨に包まれ、室内の能楽堂へと場所を移した。 この日の演目は平安時代の著名な盗賊を題材にした「熊坂」。前段では、都から来た旅僧と熊坂扮する僧の二人が、荒涼とした野原で対峙する独特の重々しさが漂い、後段では熊坂が舞台を縦横無尽に動き回り、姿なき義経との奮闘ぶりを舞台いっぱいに表現。シテ方と小鼓が重要無形文化財保持者であることに加え、後見の一人は金井さんの長男が務めるとあって、舞台は正統でありながら佐渡ならではの味わいが展開された。 能は武士の式楽として愛好されてきた歴史があるが、ここ佐渡では「京都は着倒れ、大阪は食い倒れ。佐渡は舞い倒れ」という言葉があるほど。市井の人びとが舞い、謡い、観るものとして愛されてきた。晴れの衣裳で舞台に立つ島民の高揚した姿に、“生きた伝統芸能”のあり方を垣間見た。 電話:0259-27-5000(佐渡観光交流機構) BY TAKAKO KABASAWA 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。