なぜ日本では楽しさが究極の評価になり得ないのか? 楽しさよりも、〈ためになること〉を追う文化の貧弱さとは
楽しさよりも先ず、何かしら〈ためになること〉を追う
こういう感じかたがどこからきたのかをさぐるのは、私にとっては容易なことではない。 武士は白い歯を見せてはならないという儒教的な伝統が、我が家にも残っていたのかもしれないし、私の母が影響を受けたと思われるキリスト教的な禁欲主義が、目に見えないところで私をしばっていたかもしれない。 そうしてまた、宮沢賢治の〈世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない〉という言葉に集約されているような、理想主義的な考えかたが、自分だけの楽しみに或るやましさを与えていたということもあったかもしれないし、何よりも戦中戦後の生活の困難が、楽しむということを一種のタブーにしていたと思う。 そういう風に感じる自分に反撥(はんぱつ)するような気持で、肉体が性的に成熟しようとする一時期、私は少しむきになって過去にも未来にも目をつむり、自分ひとりの現在に生きる楽しさを謳歌したことがあった。 しかしそれでもまだ、私には感覚の全的な解放に対するおそれのようなものがあったようだ。これは私ひとりだけの感じかたであったのだろうか。 今の日本に生きる私たちは楽しむことに事欠かないように見える。楽しむことはおおっぴらに奨励され、楽しむための技術はさまざまに工夫され、それは人生の唯一の目的であるかのようにも装われている。 それが単に楽しみを売る商業主義の結果だけでないことは、反体制的な若者たちもまた、物質に頼らぬ質素な生活の楽しみを求めてさまよっているのを見ても分るだろう。 だがその同じ私たちが、一篇の詩を本当に楽しんでいるかどうかは疑わしい。詩に限らず、文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら〈ためになること〉を追うようだ。 楽しむための文学を、たとえば中間小説、大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながっていないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ。 楽しむことのできぬ精神はひよわだ、楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの底の浅さも表れていると思う。 悲しみや苦しみにはしばしば自己憐憫が伴い、そこでは私たちは互いに他と甘えあえるが、楽しみはもっと孤独なものであろう。楽しさの責任は自分がとらねばならない、そこに楽しさの深淵ともいうべきものもある。 それをみつめることのできる成熟を私たちはいつの間にか失ったのだろうか、それとも未だもち得ていないのだろうか。(「新潮」1975年1月号) 写真/Shutterstock
---------- 谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう) 1931年12月東京生まれ。詩人。52年、詩集『二十億光年の孤独』でデビュー。鋭い感受性を的確なことばで表現した作品群で、新鮮な衝撃を与えた。翻訳、劇作、絵本、作詞などジャンルを超えて活躍。62年「月火水木金土日のうた」で日本レコード大賞作詞賞、75年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、82年『日々の地図』で第34回読売文学賞、2005年『シャガールと木の葉』『谷川俊太郎詩選集1~3』で第47回毎日芸術賞、10年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞を受賞。16年『詩に就いて』で三好達治賞受賞。 ----------
谷川俊太郎
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