「東京のマフィア・ボス」が北海道の養豚ビジネスで直面した新参者排除の驚くべき企業支配
● 納屋に押し込もうと叩いたら ショックのあまりに豚が死んだ 近所に住む白系ロシア人のドクター、ユージン・アクセノフも、〈六本木インターナショナル・クリニック〉のデスク越しにたしなめた。 「北海道で何をする気なんだ?レストランが本業じゃないか。おとなしくシェフの帽子をかぶっていろよ。ドアのそばに立って、変な日本語で客にあいさつしてればいいのさ。日本人はそういうのが大好きなんだ。収入源はそれだけで十分。ほかのことには手を出さないほうがいい」 常識をわきまえたうえでの忠告だった。アクセノフは満州で生まれ、日本で教育を受け、東京で働きながら医大を卒業している。戦時中、国民の戦意発揚のための映画で、敵のアメリカ人の役をこなしながら、学費を稼いだ苦労人だ。言うまでもなく、「金に弱くて脳みその足りないアメリカ人」の役である。 しかしザペッティは、生まれつき常識とは無縁の男だ。友人の忠告に耳を貸すわけがない。 というわけでニックは、1982年、日本国籍に変わって以来はじめて、役所で手続きをした。ホワイト・ランドレースという種類の豚を30頭購入し、3世代にわたって飼育して、F1と呼ばれる品種を生みだした。このタイプが市場で一番人気があると聞いたからだ。 飼育の過程で、いろいろおもしろいことを発見している。まず、豚という動物がじつにデリケートだと知った。病気を防ぐために、あらゆる予防接種を受けさせなければならない。やさしくやさしく扱う必要もある。 ある日、豚の集団を納屋に押し込もうとして、1頭を棒でひっぱたいたら、豚はショックのあまり心臓麻痺を起こし、ニックの泥だらけのゴム長靴にばったりと倒れた。豚の突然死によって、数百ドルが露と消えた。
● 精肉処理場の経営者もスタッフも 鑑定人までもが日本ハムの人間だった 何より驚いたのは、精肉処理場でのやり方だ。豚を潰したあとに、はじめて価格が提示される。作業員が豚を鎖でつり上げ、喉を切って頸動脈を断つ。それからベルトコンベアに載せて、脚を切断し、皮を剥ぎ、縦に二等分。 この段階ではじめて、鑑定人が肉質をチェックし、価格を決定するのだ。安すぎると売り手が思っても、死んだ豚を連れ帰るわけにもいかない。 規則もいろいろやかましい。胴回りや体長に規準があるし、脂肪の量にも上限がある。違反者には罰金が科され、最終的な売値に響いてしまう。豚の体長が長すぎたり、短すぎたり、太りすぎたり、やせすぎたりしただけで、減点されるのだ。 遅まきながらわかったことだが、鑑定人にも罰金のノルマがある。したがって、ニック小泉(編集部注/ザペッティは帰化にあたって、ニコラ小泉を名乗った)が格好のターゲットになるのは時間の問題だった。すべてが終わるころには、ニックの儲けはほとんどゼロになっていた。 精肉処理場の経営者もスタッフも、鑑定人までもが一様に、日本の大手豚肉製造業者〈日本ハム〉の人間だと知ったとき、ニックはなおさら納得した。 最初のころはザペッティも、精肉処理場の人間にできるだけプレゼントをするようにした。それが日本の習慣だと、何度も聞かされていた。 プレゼントは人との絆を強くする。社会的にも、仕事の上でも、人間関係をなめらかにする。だからこそ年に2回、年末と夏に、日本中の人々がプレゼントをしまくるのだ。自分たちの社会生活や仕事上、大切な人々に、石鹸、フルーツ、スコッチウィスキーなどを贈る。 実際、日本の家庭の半数は、石鹸を買ったことがない。どうせギフトシーズンに、たっぷり送られてくるからだ。