「痴漢」は「男性の娯楽」…かつて「日本の雑誌」で語られていた「衝撃的すぎる内容」
痴漢の社会問題化と「サラリーマン文化」としての通勤電車の変容
だが、1990年代になると、痴漢に対する認識・状況が変化しはじめる。たとえば、同時期に「痴漢は犯罪です」というポスターが掲示されるようになった。あまりにもあたりまえのことのようだが、それまでの痴漢に関する言説の状況を考えれば画期的なものであった。たとえば上野千鶴子は「長い間、痴漢は遭ってあたりまえ、遭うのは女にスキがあるせい、と思われてきました。 ですが1990年代に、東京都の地下鉄で『痴漢は犯罪です』というポスターをみたときの感激を、わたしは忘れません」(『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書、2021年:119頁)と述懐している。これ以前のマナーポスターでは「痴漢に注意」といういいかたが定番であったが、それは被害者に向けて「自衛」を求めるものだったといえるだろう。それに対して「痴漢は犯罪」は、男性に多い加害者に向けた「戒め」となっており、メッセージの宛先が大きく反転している。 痴漢が「犯罪」として広く認識されるようになったきっかけには、1980年代末に発生した、痴漢行為を注意された男性二人による強姦事件がある。この事件を契機として「性暴力を許さない女の会」が発足し、アンケート調査『痴漢のいない電車に乗りたい! 』(1995年)が報告書としてまとめられた。 調査報告は、各種メディアで取り上げられ、大きな反響をよぶ。警察も痴漢取締り活動を活発化させ、1996年2月に被害者対策要綱が制定されることによって、性犯罪事件対策が大きく進んでいった。鉄道警察隊には痴漢被害相談所がおかれ、痴漢防止活動を紹介する記事も多数掲載されるようになる。 1999年の女性誌『オリーブ』の「気になるグッドマナーvs.バッドマナーあなたはどっち?」を前章で紹介したが、圧倒的一位は「満員電車の中の痴漢」であった。マナーレベルで語られているため移行期といえるが、大きな問題として共有されはじめていたことがわかる。こうして、「2000年代に入ると、それまで恒例行事のようであった男性誌の痴漢に関する記事が激減する」(牧野2019:148)ようになった。 もうひとつのきっかけは、女性の社会進出にともなう通勤電車における女性乗客の増加である。1980年代の専業主婦世帯と共働き世帯の割合は「2:1」であった。しかし、1990年代になると、「1:1」となり、2019年に「1:2」に逆転している。それにともない、2000年代以降、大都市部の定期券利用の男性乗車人員が減少する一方で、女性乗車人員は増加し続けた。その結果、定期券利用者の男女割合は、半々に近くなっている(『第12回大都市交通センサス調査〈調査結果の詳細分析〉平成30年3月国土交通省』)。 このように、1980年代以前の痴漢は、男性にとっては「文化」や「娯楽」とされることがあり、女性は「自衛」という個別的対応が求められた。しかし、1990年代後半以降、痴漢は「犯罪」として広く認識され、取締りも活発化した。前章では、鉄道治安が改善されるなかで、法律的規範から慣習的規範へ秩序維持の比重が移ったと述べた。しかし、痴漢という「逸脱行為」に対する認識・対応に関しては、そうした流れとは逆に、慣習的規範から法律的規範のレベルに引き上げられたといえるだろう。 さらに2000年代以降、『それでもボクはやってない』という痴漢冤罪をテーマにした映画が話題になっている。そのため、痴漢の被害のみならず、痴漢の冤罪も電車のなかのリスクとして認識されるようになっている。それにともない、電車において「男性と女性」のあいだのコミュニケーションで気を付けなければならないことが増え、警戒レベルが上がっていった。 化粧問題の浮上と沈静化もこうした流れなのかで理解することができるだろう。むしろ、消臭剤や制汗剤のCMでみられるように、男性のほうが体臭に関して女性に気をつかうべきとされる場面もみられるようになっている。女性の社会進出とジェンダー秩序の再編のなかで、男性中心の20世紀的「サラリーマン文化」の象徴であった通勤電車のありかたもまた、大きく変化していったのである。 連載記事<「胸をあらわ」にして電車を降りようとする母親の姿も…「大正時代」の路面電車の「今では考えられない光景」>もぜひご覧ください。
田中 大介