「痴漢」は「男性の娯楽」…かつて「日本の雑誌」で語られていた「衝撃的すぎる内容」
マナー順守とリスク回避のジレンマ
「痴漢モノ」の読物は、1960年代から90年代までの男性向け大衆雑誌の定番のひとつであった。痴漢は、男性にとっての娯楽であるかのように語られ、ある種の文化的行為と表現されることもあった。しかも、なかには「痴漢のススメ」ともいえるマニュアルのような内容も含まれていた(これらの点については、牧野雅子『痴漢とはなにか』エトセトラブックス、2019年)。戦後日本においては、痴漢を娯楽・文化として語る言説が、文芸誌・男性雑誌などの男性向けのメディアにおいてくりかえし存在していたことになる。 もちろん、この時期の痴漢も迷惑防止条例違反、あるいは強制わいせつとして取締まられる「犯罪」である。眉をひそめるような行為であることに変わりない。しかし、このように痴漢をポジティブに語る言説がくりかえし男性向けのメディアに現れる状況では、そうした行為は、マナーレベルの「迷惑行為」にすぎないものととらえられかねない。つまり、こうした言説は、加害男性にとっては自己正当化や自己弁護の「余地」を残し、被害女性にとっては拒絶しにくくなるような「圧力」になりうる。 その一方、女性誌においては「痴漢撃退法」という特集が定番のものであった。その内容は、以下のような内容である。 ・痴漢の多い時間・路線・区間をマッピングする ・駅・電車のどの位置が危険かをマッピングする ・痴漢を避けるにはどのような見た目、ファッション、ふるまいがいいか ・痴漢はどのような見た目、ファッション、ふるまいをしているか ・痴漢にねらわれやすい自己診断テスト 女性たちは、こうした内容を参考にして痴漢のリスクを回避することが求められていた。本来であれば、被害者である女性に責任の一端や自己努力をもとめるべきではない。しかし、犯罪としての取締りが徹底されず、男性誌も前述の状況であったため、痴漢は女性の「自衛」によって回避すべきものとして語られた。そう考えると、鉄道の規範の形成と変容をここまで記述してきたが、そもそも男性と女性で気を付けるべきこと、参照すべき規範がずっと異なっていたことになる。つまり女性は、マナー以上のリスク回避の技法が強いられてきた。 しかも、「儀礼的無関心」や「関与シールド」などの既存の電車マナーは、痴漢がつけこみやすい状況を作り出しかねない。というのも、たとえばドア横や端の席といった乗客が視線を外し、距離をとりやすい場所は、むしろ被害者が逃れにくい場所とされることもあったためである。また、無関心を装って、静寂を保つという車内のマナーは、被害にあったとしても拒絶・告発の声を発しにくくし、助けを求めることをためらわせる。女性たちは、このように「公共交通のマナー」を順守するのか、「性暴力のリスク」を回避するのかでジレンマに陥ってしまう恐れがあったのである(田中大介「通勤通学というモビリティ・サバイバル」〈大貫恵佳ほか編著『ガールズ・アーバン・スタディーズ』法律文化社、2023年〉)。