/20 第71回大会(1999年) 苦節41年、沖縄勢が初制覇
1999(平成11)年の第71回大会は、沖縄高の校名だった68(昭和43)年の第40回大会以来、31年ぶり2回目の出場を果たした沖縄尚学が春夏通じて沖縄県勢として初の全国制覇を遂げた。 沖縄県勢は平成に入り、90(平成2)、91(平成3)年と名将・栽弘義監督(故人)に率いられた沖縄水産が夏の選手権で2年続けて決勝で涙をのんでいた。58(昭和33)年の夏に首里が同県で初めて甲子園に出場してから41年かけての悲願達成となった。 初戦から接戦を勝ち抜いた。1回戦の比叡山(滋賀)戦は七回にスクイズで1点を奪い、エース比嘉公也投手の完封で辛勝。準決勝のPL学園(大阪)戦は5-5で延長戦に突入。十一回に互いに1点ずつ取り合った後、十二回に2点を勝ち越し、強豪を振り切った。 水戸商(茨城)との決勝には、前日212球を投げて完投した比嘉公投手は登板せず、背番号12の照屋正悟投手がマウンドに上がった。二回に2点を先取され、なお続いた1死一、三塁のピンチを併殺で切り抜けたのが大きかった。その裏、主将の比嘉寿光内野手の二塁打を足場に2点を返し、同点。五回に途中出場の新垣雄之外野手の適時三塁打で勝ち越し点を挙げると、六回以降も長打攻勢で得点を重ねた。 試合終了後、沖縄尚学側のアルプス席から始まったウエーブは、水戸商側のアルプス席も含めて甲子園のスタンドを一周。球場全体で沖縄県勢の初優勝を祝った。=つづく ……………………………………………………………………………………………………… ▽決勝 水戸商 020000000=2 沖縄尚学 02002120×=7