聞き込みを軽んじた“初動ミス”がコールドケースを引き起こす…! 20年経って、なお未解決「世田谷一家殺害事件」
---------- 30年を超える記者生活で警察庁・警視庁・大阪府警をはじめ全国の警察に深い人脈を築き、重大事件を追ってきた記者・甲斐竜一朗が明らかにする刑事捜査の最前線。最新著書『刑事捜査の最前線』より一部を連載形式で紹介! ---------- 【続き】逮捕前夜にかかってきた遺族の電話は、警察の指示だった
世田谷一家殺害事件における初動指揮のミス
殺人や誘拐など未解決の「重要凶悪事件」が対象となる公的懸賞金(捜査特別報奨金)。全国で17事件(2024年2月現在)が対象となっているが、うち警視庁は5事件を抱え、中でも2000年の大みそかに発覚した「世田谷一家4人殺害」は、残忍極まる手口から未解決事件の象徴ともなっている。 発生から20年を超えたが、現在も解決していないのは、事件の行方を決定づける初期の捜査で指揮を誤ったからだとされる。平成の最重要事件は、動機も犯人像も謎のまま横たわっている。 整備中だった都立祖師谷公園にぽつんと残った2階建て住宅。2000年12月31日午前、隣家の親類が中に入ると、会社員宮澤みきおさん(44)と妻、長女、長男が殺害されていた。 首を絞められ窒息死した長男以外は包丁で執拗に切り付けられ、血まみれだった。被害者の背後から手を回したのか、首の正面を横に切った傷が多く、検視に立ち会った警視庁のベテラン鑑識課員でさえその凄惨さに「こんな遺体の傷は見たことない」と漏らしたほどだ。 犯行は前日30日の午後11時台とみられる。一家は襲われる前、夕食に鍋を囲んだ。家族だんらんの年の瀬の夜。新年には箱根旅行が控えていた。 幸せに暮らす家族を一瞬で消し去った不条理極まる凶行。社会に与えた衝撃は大きく、直後の2001年1月2日、当時の警視総監の野田健は「この上ない凶悪事件」として現場を視察し、捜査員を激励した。 捜査1課は殺人犯捜査係を投入、捜査本部は発生から半年で150人に膨らみ、早期解決への態勢を組んだが……。 「血紋」。現場の至る所に被害者の血が付いた犯人の指紋が残されていた。「指紋がある。これは捕まるだろう」。決定的な物証の存在で、当時の捜査幹部らには楽観した雰囲気があった。だが、そこに落とし穴が隠れていた。 「鑑の1組」「鑑の2組」……。捜査本部の中で被害者の周辺関係者に聞き込みする「鑑取り」班が編成されたが、すぐに打ち切られた。犯人は近場にいるとの想定で、捜査は目撃者捜しと指紋の採取・照合に猛進した。 ある捜査幹部は血紋があったことから「一発でホシ(犯人)に結びつけることしか見ていなかった」と打ち明ける。 鑑取りや現場周辺で情報を集める「地取り」で容疑性のある人物を浮かび上がらせて、遺留指紋と一致するかどうかを調べるのが本来の指紋捜査だが、世田谷事件ではその情報収集の過程が軽視された。地取りは指紋を採ることが主な目的となっていた。