廃炉進まぬ福島浜通りで、移住者が増えている理由:被災12市町村は“挑戦を始めるのに最適な場所”
廃炉が進まない中、しっかり情報を集めて移住を検討
12市町村のうち7つの自治体には今も帰宅困難区域が残り、大熊町と双葉町には広大な中間貯蔵施設もある。移住先としては懸念材料が多い地域だが、セミナーやツアーでは意外にもこうしたことについての質問はあまり出ないという。秋元さんは「事前にリサーチして、納得の上で移住を検討してくれているようだ」と話す。 筆者が取材したモニターツアーでも、家族連れの参加者から「東京が福島でつくる電気に依存していたことを、原発事故で初めて実感した。今度は自分たちが福島の役に立ちたい」といった声が上がっていた。 「12市町村」と一口に言っても、原発からの距離や避難解除の時期によって復興の進展度合いが異なるし、そもそも事故前から深刻な過疎化が進んでいた地域もある。 それでも、移住希望地はそれほど偏っているわけではないという。「飯館村や川内村、葛尾村の自然に興味を持つ人もいるし、あえて原発立地の双葉町や大熊町でのチャレンジを目指す人も多い」(秋元さん)そうだ。
0~15歳までの一貫校、大熊町「学び舎 ゆめの森」
2019年4月に避難指示の一部が解除された大熊町。現在は、JR常磐線「大野」駅周辺の整備や、大規模な工業団地の建設などが進行中だ。避難先に生活基盤を移した人も多く、震災前の人口1万1500人に対して、2024年3月1日時点の居住者は646人にとどまるが、0歳から15歳まで一貫して学べる町立「学び舎 ゆめの森」が、全国の教育関係者や小さな子を持つ親世代から注目を集めている。 震災前、大熊町にあった小学校2校、中学校1校は、多くの町民が避難した会津若松市で授業を続けていた。 ゆめの森は22年4月、3校を集約する形で会津若松市で開校。その時点では児童・生徒数わずか8人だった。23年4月に大熊町に帰還、同年9月に新校舎での授業が始まると徐々に増えて、24年3月時点で39人。会津若松での開校時からは4倍以上になっている。このうち13人はもともとの大熊町民ではなく、移住世帯の子どもだ。 注目される理由は、子どもの主体性を重視する校風にある。“フェンスもチャイムもない”という校舎は、円形の「図書ひろば」を取り囲むように教室や体育館、職員室などを配置し、学年の垣根なく子どもと教職員が交わりやすくした。図書ひろばや中庭が即席の教室となって授業が始まることもあれば、チャイムが鳴らないので、納得がいくまで質問が続いたり、休み時間になっても議論が盛り上がったりすることも多い。 南郷市兵校長は「幼児期の“なぜ” “どうして” という純粋な好奇心を伸ばしたいと、多くの教育関係者や親たちも考えている。しかし、硬直的になった教育制度の中でなかなか新しい取り組みができないでいた。ゼロから再生する大熊町だからチャレンジできる」と力強く語った。