虎のソナタ 「誰だ君は?」広島で築いた8年間の絆 新天地へ行く記者に新井監督流エール!
「令和七年 謹賀新年」。甲子園の大型ビジョンに映し出される。グラウンドに立って、手を合わせる。球団公式ファンクラブ会員の中でも選ばれた人にしか参加できない「甲子園詣」が行われた。 「すごい人ですヨ」 虎番の中屋友那は目を丸くしていた。年末年始の9連休も、いよいよ終盤。V奪回を祈願して、週明けの仕事始めに向かう人が多かったようだ。 残念ながら「甲子園詣」の取材はNG。だからなのか、中屋は邨田直人と昼ご飯を食べた後、球場隣接の甲子園素盞嗚神社に向かった。中屋は「今年こそ、優勝原稿を書けますように」と、つぶやきながら…。 おみくじで大吉を引いたのは邨田。4日付の虎ソナでもデスクの阿部祐亮が大吉だったことをお伝えしたが、発刊70周年のサンスポ関係者は意外にも大吉多しなのである。 邨田は12月30日に三国丘高の同窓会をしたそうだ。30歳が30日に集まろうということで8クラス約100人が集結。邨田は「クラス同窓会委員」として、みんなに声をかけまくる役割だった。 「周りから『太ったな~』とめっちゃ言われました。でも、30歳になったらいろいろな方がいて、起業して社長になっていたり、普段から取材でお世話になっているメーカーの方がいたり、本当に楽しかったです。同窓会しないんですか?」 同窓会といわれても…友達の連絡先がワカラン。個人情報保護法の関係で卒業アルバムには住所や電話番号も載っていないし、当時はLINEやSNSどころか、携帯電話すら、ろくにない。 「僕は高校1年生のときにスマートフォンが広まって、高校3年生のときにLINEをみんなするようになって…。ちょうどいいタイミングだったかもしれません」 LINEがあれば友達の紹介であってもグループを作ることができる。時代の流れの中で〝エアポケット〟に入ってしまった世代は多いはずだ。ちょっぴりショックを受けながら編集局に行くと、フリースペースに柏村翔がちょこんと座っていた。昨季まで広島を担当し、1月から文化報道部に異動。引き継ぎの作業などに追われていた。 「広島での思い出ですか? 最初は気まずかったですねぇ」。初仕事は@ホノルル。2016年に広島はリーグ優勝。柏村はハワイ旅行から担当することになった。「選手に話を聞こうとしても、向こうからすれば『誰?』ですからねぇ」。他の記者からの「誰?」という空気も柏村なりに感じていた。そこから柏村は名刺を配りまくり、3連覇も見届けた。