「偶然でもいい。神経芽腫、小児がんのことを知ってほしい」娘の闘病記をSNSで発信し続ける父の思い
娘と約束「打ち上げ花火を一緒に」
「本当に笑舞を思い出すな。笑舞が海を見るのが好きだった」(父・潤さん) 両親は、思い出の海岸で清掃活動のボランティアに参加しました。 近くの三重大学病院で闘病している子どもたちのためにこの海岸から花火が打ち上げられます。 去年、笑舞ちゃんも病室から画面を通して見ていました。 「楽しそうでした。親子で花火が好きなので『来年は外で見よう』と言っていて、『そうだね』って」(母・安由美さん) 向井さんを誘ったのは、小児がんで中学生の息子を亡くした、ボランティア団体の代表、寺際伸一さんです。 「息子が入院していたときは、頻繁にボランティア団体が病院に出入りして、楽しく過ごしていたけど、今は入れないじゃないですか。イベントのひとつとして病気を忘れて、花火を楽しんでもらえる時間になれば」(ボランティア団体 代表 寺際伸一さん) 「入院していてイベントがあるだけで、親も子どもも救われますし、本当に入院生活は単調なので」(父・潤さん) 今年は支える側へ。 「今、小児がんと闘っている友達がいるので、少しでも力になりたい気持ちが大きくて、来てよかった」(父・潤さん) 笑舞ちゃんとは、どこへ行くときも一緒。寒い日には、いつも赤いニット帽をかぶっていました。 ―Xの投稿 「去年、病棟で笑舞が見た花火。今年はその花火を打ち上げるお手伝いをさせて頂きます。来週の打ち上げ日、雨が降らず子供たちの笑顔が溢れますように」
「笑舞と一緒に見たかったな」
迎えた、打ち上げ花火当日。闘病中の子どもたちの願いとともに大空に打ち上げます。 ボランティア団体による準備が進む中、向井さんはメッセージの記入を呼びかけていました。 「小児病棟に貼って、闘っている子どもたちに見てもらいます」(父・潤さん) 思わぬ出会いもありました。笑舞ちゃんが入院生活を一緒に過ごした仲間です。 「去年の花火のときのメッセージで書いていた。『えまちゃんだいすき』と書いてくれて、メッセージを読んで笑舞がすごく喜んでいた」(母・安由美さん) 「笑舞ちゃんがいなくなって、めちゃくちゃ泣いたんだ」(入院生活を一緒に過ごした女の子) 「お空から見ている『がんばれ』って言っているから」(母・安由美さん) 入院中の子どもたちも準備が整うと―― 「5・4・3・2・1」 笑舞ちゃんが亡くなってから、約半年。両親はずっと願ってきました。 「すべての小児がんが治りますように」 「誰も小児がんにならない日が、いつか来たらいいなと思いますし、報告したい。笑舞に。『治るよ、治るよ』って言い続けてきたので」(父・潤さん) 夜空を彩る500発の花火は、あっという間に終わってしまいました。 笑舞ちゃんが使っていたペンライトで、入院中の子どもたちにエールを送ります。 「ライトを振っているときが一番きて、病院にいる子の気持ちがわかるから」(父・潤さん) 「きれいでした。すごいなっていうのもあるし、笑舞と一緒に見たかったな」(母・安由美さん)
「偶然でもいい。神経芽腫、小児がんのことを知ってもらう」
向井さん、今でもSNSの更新を続けています。 ―Xの投稿 「花火のように1人でも多くの人が小児がんの世界に触れる機会が広がり輪になって、子供たちの笑顔が美しく沢山咲きますように」 「毎日寂しいけど、泣きながら笑舞のことをみんなに伝えて、本当に偶然でもいい。神経芽腫、小児がんのことを知ってもらう。残っているのって、笑舞が闘病した記憶とか、SNSとかを通して笑舞の影響力はあるので、ずっと育て続けて、生かし続けたいし、そうしていく」(父・潤さん)