一体なぜ? 日本代表では輝けなかったJリーグの名手(3)一度の大怪我で…。日本の未来が転落、元に戻らなかった怪物
チームが違えば求められる役割も変わるもので、所属クラブで圧倒的な存在感を放ったとしても、サッカー日本代表で同様の活躍ができるとは決して限らない。今回は、Jリーグクラブでレジェンド級の選手になりながらも、日本代表で輝けなかった名手をピックアップして紹介する。
FW:小倉隆史(おぐら・たかふみ) 生年月日:1973年7月6日 Jリーグ通算成績:239試合52得点 日本代表通算成績:5試合1得点 小倉隆史は日本中が期待した才能だったが、日本代表で成功を収めることはできなかったFWだ。 四日市中央工業高校で注目された小倉は、高校卒業後に名古屋グランパスに加入した。オランダ・エクセルシオールへの武者修行を終えて1994シーズンから名古屋の選手としてプレーし始めると、すぐにゴールを量産するようになり、1995シーズンはリーグ戦37試合に出て14得点を決めている。その活躍が認められて1994年に20歳で日本代表デビューを飾った小倉は、同年のキリンカップ・フランス代表戦でゴールを決め、好スタートを切った。 しかし1996年2月、U-23日本代表の一員としてアトランタ五輪・最終予選に向けたマレーシアでの合宿に参加していた際、練習中に右ひざ後十字じん帯断裂の重傷を負って長期離脱を強いられる。複数回の手術をへて1998年に復帰したものの、かつての輝きは戻らなかった。 ゴールだけでなく、ドリブルでもパスでもケタ違いのセンスを見せていた小倉は、誰からみても明るい未来が待っていることを約束されているような才能の持ち主だった。それだけに、本人にとっても日本サッカー界にとっても大きな負傷だった。
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