土屋太鳳の熱演に圧倒された…『海に眠るダイヤモンド』第4話に込められた「反戦」への強い思いとは? 考察レビュー
百合子を単なる原爆被曝者という記号的な役割に置かなかった野木亜紀子
おそらく百合子が誰とも真剣に恋愛をせず、子供を持たないと決めているのも、被爆の影響を考えると躊躇われるからだろう。ゆえに、何も知らず、何も気にせず、普通に恋をして、楽しく過ごしている朝子のことが受け入れがたかったのだと思う。 圧巻だったのは、そんな百合子が和尚(さだまさし)に思いの丈をぶつけるシーンだ。もともと原子爆弾は福岡の小倉に投下される予定だったが、当日の悪天候による視界不良で目標が長崎に変更された。そして、爆弾は浦上地区の上空で炸裂。約8500人のキリスト教徒が犠牲となった。 「それは神が聖なる地を選んだからで、苦難は信徒に与えられた試練。そんなの変よ、傲慢だわ」と語る百合子。なぜなら長崎への原爆投下で亡くなったのは約7万人で、キリスト教徒以外にも6万人以上が犠牲になっている。かつ、原爆を落とした米軍の多くも同じ宗教を信仰していた。 じゃあどうして、浦上に原爆が落とされ、百合子の姉や母は命を落とさなければならなかったのか。なぜ百合子は被曝し、他のみんなと同じような人生を送ることができないのか。 朝子のせいじゃないということは百合子もわかっている。だけど、怒りや悲しみの行き場がなく、誰かのせいにしなければ生きてこれられなかったのだろう。 脚本家の野木亜紀子は、百合子を原爆被曝者という記号的な役割を押し付けていない。一口に原爆被曝者といっても、それまで送ってきた人生や生き様、被曝が与えた影響は一人ひとり違う。 この物語は端島で生まれ育ち、キリスト教徒で、朝子のいたずらがきっかけで浦上に行くことになり、被曝した百合子という人間のパーソナルな苦しみや葛藤を描き出した。だからこそ、逆説的に今なお続く被爆者の苦しみや、それを生み出した戦争というものの愚かしさが伝わってくる。
百合子の苦しみに寄り添った和尚(さだまさし)のセリフが沁みる…。
百合子の苦しみに寄り添った和尚役のさだまさしは長崎出身で、吉田政美とフォークデュオ「グレープ」として活動中に、今回描かれた精霊流しを題材とした、その名も「精霊流し」という楽曲を作っている。 同曲は自身の従兄が水難事故で亡くなってしまったときの精霊流しの思い出がモチーフになっており、故人を偲ぶ気持ちが伝わってくる歌詞を今一度聴いてみてほしいのだが、さだは「防人の詩」や「キーウから遠く離れて」など戦争を題材とした楽曲を数多く作ってきたことも忘れてはならない。 日露戦争最大の激戦となった二〇三高地の戦いを描いた映画『二百三高地』(1980)の主題歌となった「防人の詩」は、「戦争を賛美している」と批判されたこともあるが、歌詞を深く読み込めば、命の尊さを歌ったものだとわかる。 また、さだは戦争賛美になりかねない映画の主題歌を担当することに当初躊躇ったが、戦争に翻弄された市井の人々の物語と知ってオファーを受けたというのも、よく知られているエピソードだ。 そんなさだから放たれるからこそ、「神も仏も、何もしないとよ。何かするとは人間の業。人を生かすも殺すも人間のすることよ。ごめんね。私たちが、私たち大人たちが、苦しみばつくりだしてしもうたとよ。子供たちに大きな禍根ば、残してしもうた。これはね、ぜーんぶ、私たちの罪よ」という台詞がより胸に沁みる。 すべての行動には必ず理由がある。鉄平を大学に行かせた理由について、和尚に「偉くなれば、騙されないで済む。偉い奴はみんな生きている」と明かした一平(國村隼)。 そこにも戦争を推し進める国に騙され、長男を戦地に送り出して死なせてしまったことへの反省があった。