【プレイバック’04】教え子メジャー選手らに「お前ら帰ってきてくれ!」と叫んだ仰木監督の〝胸中〟
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年12月24日号掲載の『イチロー、野茂、田口、木田ら教え子が大集結! メジャー軍団&仰木監督「同窓会」を実況中継』を紹介する。 【で、デカい!】すごい…清原が仰木監督のパーティに送ったお値段数十万円はするという「花」 ‘04年12月7日、オリックスバファローズ監督・仰木彬氏(当時69)の野球殿堂入りを祝うパーティが大阪市内のホテルで行われた。(《 》内の記述は過去記事より引用)。 ◆仰木監督のために集結したそうそうたる顔ぶれ 「内々でやる予定だった」(関係者)という仰木監督の「野球殿堂入りパーティ」会場に本誌記者が向かうと、すでに人、人、人で埋め尽くされていた。聞けば国内外から400名もの関係者が駆けつけたという。 《会場前には「間違いなく数十万円する」(ホテル従業員)という巨人・清原和博からの巨大な花がドーン。近鉄OBで野球評論家の金村義明氏をとおして、「門戸を開けていてくれれば、2年後には大阪ドームでやらせていただくかもしれません」 というリップサービスまで贈られた。》 会場内では、〝鉄腕〟稲尾和久、〝怪童〟中西太など、大物球界OBがグラスを交わしていた。ラルフ・ブライアントら、伝説のダブルヘッダー第2戦を引き分けて優勝を逃した’88年の近鉄レギュラー選手たちや、阪神大震災を乗り越えて日本一になった’96年のオリックス主力選手、星野仙一・阪神SDなど、そうそうたる顔ぶれが集っていた。 だが、この日一番フラッシュを焚かれていたのは「パーティに出席するため」だけに帰国したイチローだった。かつては〝人間嫌い〟で有名だった彼は、終始、記念撮影や握手攻めにあいながら、ニッコニコで応じていた。 ◆突如、炸裂した〝マジック〟 仰木監督も赤ら顔でゴキゲンだった。横峯さくらに「こないだ、お父ちゃんと飲んだんやけど、やっぱりキャディーはクビか?」などと話しかけていた。そして、そんな雰囲気の中、仰木監督から、トンデモない〝マジック〟が炸裂した。 《「もう、タンパリングでもなんでもエエ。お前ら帰ってきてくれ!」 イチロー(マリナーズ)、田口壮(カージナルス)、野茂英雄(ドジャース)、吉井理人(オリックス)、木田優夫(マリナーズ)ら新旧メジャー軍団が壇上に上がるや、仰木彬・オリックスバファローズ監督は熱烈に口説きだしたのだ。 「仰木さんがいなかったら、いまの自分はない。監督になら背番号51番をつけてもらってもいい」(イチロー) 「最後は監督の下で現役を終えたい」(吉井) 〝弟子〟たちが、社交辞令で返すと、指揮官はさらに暴走。 「小泉(隆司・球団)社長はおられるか? 都合悪いときはおらんか?(吉井の)年俸はオレがポケットマネーで出すから、後はインセンティブでどないやろ?」》 と、球団社長を困惑させた。 ◆「これは私の生前葬だと思っております」 仰木彬氏は近鉄バファローズ、オリックスブルーウェーブの監督を歴任し、その変幻自在の采配は〝仰木マジック〟と呼ばれた。また、イチローを見出したほか、野茂英雄、長谷川滋利、田口壮など、多くの日本人メジャーリーガーを育てたことでも知られる。この日のパーティにこれだけの顔ぶれがそろったのも、人徳だろう。 この’04年のオフは近鉄とオリックスが合併して「オリックスバファローズ」が誕生した時期でもあった。そして仰木氏は監督就任要請を受けて3年ぶりに監督に復帰していた。メジャーに行った愛弟子たちにアツいラブコールを贈ったのも、そんな事情があってのことだったのかもしれない。 この日のパーティで仰木氏は「これは私の生前葬だと思っております」と語っていた。実際、肺がんを患って闘病中だったのだが、そのことは一部の関係者しか知らなかったという。 ‘04年のシーズンは満身創痍で何とか闘い抜いた仰木氏だったが、最終戦を終えた次の日に監督退任を表明。その2ヵ月後の12月15日に亡くなっている。亡くなる直前、医師に「20日にイチローと食事の約束をしている。それまでは生きさせてくれ」と言っていたという。
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