90年代年末の風物詩だったK-1「あいつが生きていたら続いていた」…すべての夢を実現した角田信朗の人生で唯一の後悔
興行としてのK-1のネックは……
――鍛えることやパフォーマンスの前に、必要と思うことありましたか? K-1で考えると、テレビの生中継があって初めて成立する世界だったので、選手には「視聴率を意識してほしい」と伝えていたこともありますよ。 激しい戦いがなければ、視聴率も伸びず、スポンサーも離れてしまいますからね。 特に外国人選手には「ビジネスクラスの飛行機、豪華なホテル、ファンの声援は視聴率のおかげだ」と危機感を煽りましたが、なかなか選手たちには伝わらなかったこともありました。 ――それでも、外国人選手たちがK-1を盛り上げたのは間違いありません。特にピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルド、アンディ・フグといった「K-1四天王」の活躍は印象的です。 アンディは「危機感を持て」と言わなくても、すべてを理解してくれていました。 彼が生きていれば、K-1はまた違った形で続いていたと、今でも思うことがあります。しかし、彼は天に昇りました。 誰も想像していなかった「鉄人」の死。このときは運命を呪いました。 ――それでも、90年代後半から2000年代前半にかけて、K-1は一大旋風を巻き起こします。2003~2010年までは大晦日の風物詩にもなりました。 ブームというより、格闘技という文化が成立しましたね。 その後、運営会社のケイ・ワンをめぐる脱税事件など、K-1には暗い時期もありましたが、そんな流れを変えたのはボブ・サップでしたし。 彼の活躍は一見追い風となりましたが、その一方でK-1の持つ格闘技のクオリティは下がりましたよね。 選手の成長よりも、ファンの目が肥えるスピードが早い。 TVの視聴率狙いのボブ・サップを巻き込んだ仕掛けは、純粋なファンの反感を買いましたね。
「漢・角田信明」に叶えたい夢はない!?
――現在、63歳の角田さんですが、今後の目標や夢はありますか? 夢と言われても特にはないんです。僕くらい多くの夢を実現した人間っていないと思う。 これからは、どれだけ多くの人を笑顔にできるかというお役目を、死ぬまでまっとうしていけたらいいなと思っています。 そのためにも、やはり「超人」でいなければいけないなと思います。超人を追求し続けることは、僕の永遠のテーマかもしれません。 僕らは「スポーツ根性モノ(スポコン)」といったジャンルのマンガを読んで育った最後の世代だと思います。 ――年齢を重ねることに怯えや怖さはないのですか? 「年を取りたくない」「あの頃に戻りたい」と年を取ることを嘆く人も多いと思いますが、僕にはその感覚はありません。 年を取ることって、素晴らしいことだと思うんです。 僕は「あの頃に戻りたい」と思ったことは一度もありません。今が一番楽しいし、今が一番充実している。 いろんな意味で、肉体的にも精神的にも今が一番強いと思っています。 ――それは、角田さんが強靭な肉体を手に入れたことで、心に余裕が生まれているのではないでしょうか? 強靭な肉体を構築していく過程で、精神が錬磨されていく。 年を重ねることを嘆くのではなくて、アンチエイジングもいいんですが、老いに抗うのではなく、いい年の重ね方をすることが大切なんです。 僕は「ウェルエイジング」という言葉を推奨していて、みなさんにもぜひ、いい年の重ね方をしてほしいなと思っています。 ――それも「漢」のひとつの生き様なのですね。 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉がありますが、これは「『どうやって死ぬか?』を考えることは『どうやって生きるか』を考えることにつながる」という意味です。 長生きしたいということではなく、一瞬一瞬を悔いなく過ごすことが大切なのです。過去はどれだけ考えても変えることはできません。どんなにがんばっても動かせないものです。 ――しかし、未来は違いますよね。 そうです。未来は、ゆっくりと、そして確実にこちらへ向かってきます。過去を後悔することのない人生を送っていれば、未来は自分である程度形づくることができるはずです。 だからこそ、一生懸命に今を生きることが大切で、最後に自分の人生を振り返ったときに「あぁ、何も思い残すことはない」と思えたら、それが幸せなんだと思います。 常に未来を見て、過去を反省することはあっても、過ぎたことにはこだわらない。素敵な未来だけを見て今を真剣に生きればいいんです。 取材・文/集英社オンライン編集部 写真/立松尚積
集英社オンライン